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【岡山市】戦災前の国宝・岡山城|看板に遺された木造天守の記憶と、力強く蘇った「烏城」の象徴性

読むのにかかる時間:1 分, 49 秒ぐらい

苔むした看板が教えてくれること|岡山市・戦災前の岡山城の記憶

okayamajou

久しぶりに岡山城周辺をのんびりと散策していた際、ふと道端で見かけた古い案内看板。そこに、昭和の戦災で失われる以前の、かつての岡山城の姿が写し出された貴重な写真が掲載されていたので、ここに記録として残しておきたいと思います。
(※屋外の看板を撮影した写真のため、多少の画質の粗さや表面の「苔」の付着についてはご容赦ください。)

写真に写る往時の岡山城は、一見すると現在の私たちが日常的に目にしている岡山城と非常によく似ています。しかし決定的に異なるのは、この頃の天守閣は宇喜多秀家による慶長年間の築城以来、幾多の歴史を生き抜いてきた本物の「木造建築」だったという点です。

国宝だった木造天守と、運命の空襲

当時、この気品ある木造天守は旧制度における「国宝」に指定されていました(当時の国宝は、現在の文化財保護法における『重要文化財』に相当する高い価値を持つものです)。

明治の廃城令や取り壊しの危機を免れ、街の誇りとしてそびえ立っていた天守ですが、1945(昭和20)年6月29日の未明、岡山市街地を焼き尽くしたあの「岡山大空襲」によって、惜しくも炎上・焼失してしまいました。突如として街のシンボルを失った当時の市民たちの喪失感は、計り知れないものだったに違いありません。

戦後、焦土から立ち上がる岡山の復興の象徴として、人々の熱い願いを受けて1966(昭和41)年に外観復元されたのが、私たちが現在見ている現在の岡山城です。

見た目の意匠は戦前の姿を概ね忠実に再現していますが、その構造は最新の技術を用いた堅牢な「鉄筋コンクリート造」です。
形は同じでも、中身は全く異なる現代の建物です。

歴史的な連続性や「文化財としての純粋な価値」というモノサシだけで測れば、確かにオリジナルを失った損失は大きいかもしれません。しかし、激しい戦争の傷跡から力強く立ち上がり、現代の建築技術によって不燃の城として強固に、そして立派に蘇ったその姿は、まさに「戦後復興を成し遂げた岡山の不屈の精神」を象徴する記念碑そのものであると言っても過言ではありません。

 安土城の影を宿す、漆黒の「烏城」

岡山城はその漆黒の下見板張りの外観から、古くから親しみを込めて「烏城(うじょう)」とも呼ばれています。
この全面黒塗りの外観は、宇喜多秀家が豊臣秀吉への忠誠を示すとともに、かつて織田信長がその覇権の象徴として築き上げた伝説の「安土城」を模して造られたものだ、とも伝えられています。

安土城の天守(天主)は本能寺の変の直後に原因不明のまま火災で早くに焼失してしまいました。現在に至るまで、その正確な具体的な形状や構造については諸説が入り乱れており、今なお多くの研究者が謎を追い続けている、まさに「幻の名城」です。
そんな幻の安土城の遺伝子をどこかに受け継いでいるかもしれない、岡山の烏城。
そう考えると、現代のコンクリートの壁の奥にも、戦国から昭和、そして令和へと繋がる途方もないロマンの地層が積み重なっているのを感じずにはいられません。

後記

観光客でにぎわう石山公園から離れ、遊歩道から旭川の水面に映る黒い天守を見上げる。
戦前の木造天守の写真が印刷された看板の「苔」を眺めていると、それ自体が焼失から現在に至るまでの、戦後の長い平和な時間の経過を物語っているかのように思えてきます。

ただ綺麗に再建された観光地として眺めるだけでなく、かつてそこに確かにあった木造の温もりと、それを灰にした戦争の歴史。そしてそれを乗り越えた人々の祈りに思いを馳せることで、いつもの見慣れたお城の景色が、少しだけ違った深みを持って心に迫ってくるような気がします。

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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。

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2 thoughts on “【岡山市】戦災前の国宝・岡山城|看板に遺された木造天守の記憶と、力強く蘇った「烏城」の象徴性

  1. 岡山城の焼失前写真を見つけて、ここへやってきました。やはり木造時代の物はいいですね。やはり天守は木造がいいですね。正しく復元できますから、一度古写真と比べていただきたいのですが、RC造故のウソの仕上げになっていると思います。窓の位置が違っていると思います。早い時期に木造復元されるといいですね。広島は同じくRC造なので小天守と共に木造復元されることを望んでいます。

    1. コメント有難うございます。

      岡山の街角からというHPを作っております、藤崎と申します。

      窓の位置等を気にした事がなかったので、近い内に同じ角度から見て勉強させて頂こうと思います♪
      ご指摘有難うございます(^^)

      岡山城は再建時に、建築関係の法律の問題からやむを得ず変えた部分と、詳細は判りませんがそれ以外の理由(もしかしたら特に理由が無いのかもしれません)で元々の天守閣と異なる部分があるというのは聞いた事があります。

      今のご時勢ですから、なかなか費用の捻出は難しいかもしれませんが、見た目だけではない木造の復元はいいなぁと思いますね♪
      そういった機運が高まる日を楽しみにしています(^ー^* )

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