戦時中の岡山空襲で岡山城は焼失してしまいました。
現在の天守閣は再建されたものなので、これからするお話とは無関係です。
写真:焼失前の岡山城天守閣
心霊スポット岡山城!?
関ヶ原の戦いの際に勝敗を決定付ける裏切り行為をした軍功で、小早川秀秋は岡山城へ栄転して来ました。
しかし岡山城主時代の小早川秀秋は精神的に不安定で、乱行が目立っていたとされます。
それを諌めた家臣が殺害されると言う事件も起こっています。
その現場では畳を新しくしても血痕のようなシミが浮かび上がってくる為、開かずの間となっていたそうです。
昔の岡山城には心霊スポットがあったのですね!
小早川秀秋はなぜ乱行をした?
小早川秀秋の乱行の原因には諸説あります。
昨今の有力説は、お酒にまつわるものです。
これは死因でも有力説となっています。
小早川秀秋は10代の頃からお酒をたしなみ、黄疸が出るほどのアルコール性肝障害を患っていたそうです。
そこから肝臓の機能低下が意識障害を引き起こす肝性脳症を発症しており、その為に奇行を繰り返したという説です。
他に自分自身の裏切り行為への自責の念から精神を病んでしまったという説があります。
裏切り行為の犠牲となり自害した大谷吉継の亡霊に悩まされていたともされています。
大谷吉継は自害の前に小早川の陣へ向けて「人面獣心なり。三年の間に祟りをなさん」という言葉を残したと伝えられています。
それから実際に2年程で亡くなってしまった事から、呪い殺されたとする説さえあるのです。
関連リンク:呪い殺された城主!?(岡山の街角から)