1945年に岡山市の市街地を襲った岡山大空襲。
公式発表では1,737名の死者が出たとされています。
この岡山空襲の際に、市民へ敵機の襲来を告げる為の空襲警報が鳴っていません。
牛窓にあった防空監視哨がB-29の姿は把握していましたが、空襲警報を鳴らす許可を出す『中部軍管区司令部』がこれを空襲とは考えなかった事が原因とされています。
この事に関しては、岡山県社会運動史(11)に興味深い記述がありました。
警報を出す判断をすべき若い主任参謀は、当日はお酒を飲んでほろ酔いだったというのです。
若い主任参謀の名前は記憶していないが、当夜はほろ酔いきげんで勤務していた(中部軍管区司令部-土井辰巳)
これはなんとも…。
この証言を信じるとすれば、主任参謀は単に空襲だと思わなかったのではなく、お酒に酔っていて正しい判断を下せなかった可能性が考えられます。
今までに多くの岡山空襲の資料に目を通してきましたが、この飲酒の事に関する記述は岡山県社会運動史のみでしか見た事がありません。