倉敷は大原美術館に守られた?
毎年6月が来るとローカルニュースで岡山市を襲った岡山空襲について触れられます。
決して岡山の中で大都市ではない規模の都市を攻撃する事で、日本から戦争を継続する意欲を失わせることが目的と考えられています。
ところで県内の戦争の話題が出てくるとよく言われるのが、「倉敷市は貴重な美術品を集めた大原美術館があるから、空襲を免れた」という話です。
大原美術館は大原家の経済支援を受けていた画家の児島虎次郎が、自分のように海外の作品に触れる機会が得られない他の画家の為に西洋の名作を収集してきたコレクションを展示しています。中には日本にあるのが奇跡とまで言われるような名作もあります。
空襲によってこれらが失われてしまう事を懸念して、倉敷市街地への攻撃は行われなかったというのです。
真相は…?
実際のところは米軍のみぞ知る…ですが、倉敷の中心部が空襲を免れたのは、それより先に日本が降伏した為というのが最近では通説になっています。
というのも、倉敷は米軍の攻撃予定にリストアップされていたのです。
米軍は日本への空襲の際に180の都市をピックアップしています。この中に岡山県からは岡山市、津山市、玉野市、そして倉敷市が名前を連ねています。
詳細は「とちぎ炎の記憶」様が分かりやすくリストアップしているので、そちらをご確認ください。
それぞれに順位が振られており、岡山市が31、津山市が127、玉野市が142、倉敷市は159です。
これらの順位は決して空襲を行う為の数字ではありませんが、1から50位は多くの都市が攻撃を受け、逆に100位以降の都市で攻撃を受けた都市は少ないです。なのである程度は順位に沿って行われていたのでしょう。
実際に倉敷以降の順位である敦賀(福井)、平(福島)、舞鶴(京都)は攻撃を受けています。なので倉敷市も都市の規模的に順番が後回しになっていただけで、戦争が長引けば空襲を受けた可能性が非常に高いと考えられます。
日本が終戦を選ぶタイミングが違っていれば、大原美術館は失われていたのかもしれません。