高梁市有漢町の地域局を訪ねた時の事です。
近代的な建物には似つかわしくない、昔ながらの雰囲気の像が立っていました。
最近の役所系の建物でこういった像を、目立つ場所に設置しているのは珍しい気がします。

蛭田傳助氏之像とあります。
この方に関しては名前だけは聞いたことがありましたが、顔は初めて見たかもしれません。
ちょっと厳しそうな顔をしています。
高梁市の公式サイトに詳細があったので紹介していきます。
彼は有漢が有漢村だった1877年に当地で生まれました。生まれは吉田家ですが、三男だった為か蛭田家の養子になっています。
そして村役場で働くようになり、44歳の年に村長に就任、間に途切れた時期もありますが1935年に亡くなるまで有漢の為に尽力し続けました。
彼が目指したのは無税の村。その実現の為に農林業の発展に尽力しました。特に潅漑用の有漢池は文字通り命を削っての一大事業となりました。池は存命中に完成しましたが、過労が影響したのか58歳の若さで早世しました。このように像が設置されている事からも、その事業が有漢の住民の支えとなり、慕われ続けている事が分かります。
