【高梁】有漢を潤した「無税の村」への執念|地域局に立つ蛭田傳助氏の肖像

読むのにかかる時間:33 秒ぐらい
理想を刻み、水を引く|高梁市有漢・蛭田傳助氏像の路上観察
高梁市有漢町の地域局を訪ねた時の事です。
近代的な建物には似つかわしくない、昔ながらの雰囲気の像が立っていました。
最近の役所系の建物でこういった像を、目立つ場所に設置しているのは珍しい気がします。

蛭田傳助氏之像とあります。
この方に関しては名前だけは聞いたことがありましたが、顔は初めて見たかもしれません。
ちょっと厳しそうな顔をしています。
高梁市の公式サイトに詳細があったので紹介していきます。
彼は有漢が有漢村だった1877年に当地で生まれました。生まれは吉田家ですが、三男だった為か蛭田家の養子になっています。
そして村役場で働くようになり、44歳の年に村長に就任、間に途切れた時期もありますが1935年に亡くなるまで有漢の為に尽力し続けました。
彼が目指したのは無税の村。その実現の為に農林業の発展に尽力しました。特に潅漑用の有漢池は文字通り命を削っての一大事業となりました。池は存命中に完成しましたが、過労が影響したのか58歳の若さで早世しました。このように像が設置されている事からも、その事業が有漢の住民の支えとなり、慕われ続けている事が分かります。
この記事を読んだ方はこんな記事も読んでいます
岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。
最近の別の記事
Average Rating
5 Star
0%
4 Star
0%
3 Star
0%
2 Star
0%
1 Star
0%












