津山事件、襲撃順の地図を作ってみた
前から用意しようと思っていた津山事件の当時の地図と、襲撃順の地図を作ってみました。
まず最初に調べたのは国土地理院の航空写真ですが、残念ながら戦後の物しかありません。
という事で、白地図から作ります。現在の地図を利用していますが、建造物は住民の方に迷惑をかけることになりかねなにので非表示にして作りました。

こちらです。
◎が都井睦夫の家で、後は①~⑪までが被害に遭った家で、数字が襲撃の順番です。
場所については上記と同様の理由で少しファジーにしていますが、ほぼ史実に沿っています。
地図からわかる事
地図からわかる事として、まず一番に思ったのが遺書で名指しにした人の襲撃の順番が意外とゆっくりである事です。
死の直前に欠いた遺書で4名が名指しになっています。
たまたま同時に帰郷したことで事件の決行のきっかけとなった女性、西川良子と寺井ゆり子(※これは仮名です)ですが、その家を襲ったのは西川良子こそ2番目ですが、寺井ゆり子は4番目になっています。自宅の祖母を除くと11軒を襲撃したことになりますが、4番目だと中盤になります。
そしてもう一人、遺書で名指しされていた男性。
こちらは金に物を言わせて女性と関係を持ったとされています。周りから女性たちが離れていった睦夫からすると、自分から女性を奪った相手のような錯覚に陥っていたのでしょうか。
この男性宅が10番目…、つまり貝尾集落では最後の襲撃場所になっています。一人での犯行で、銃も照明も、抵抗を受ければ体力もそれぞれに限界があります。順番が後になれば集落中でも騒ぎになり始めるはずです。
その中で10番目に選んだのは討ち漏らしてもやむなしとの考えがにじみます。実際に達成できていません。
そして事件決行日を決めるほどの相手…だったはずの女性宅の襲撃も前述の通り4番目と真っ先に攻め入ったわけであはありません。
逆に1番目、2番目(※睦夫の祖母を除く)に襲ったのは過去に肉体関係があり、後に悪口などを言いふらされたとされる女性の家です。
もし襲撃順に意味があるのであれば従来の説で言われていたような、ガチ恋の相手に対する憎悪ではなく、集落で自分がいづらくなるような悪口を流布した相手に対する怒り、復讐の気持ちの方が強かったのではないでしょうか。
それを裏付けるのかもしれませんが、もう一つ感じたのが順序の悪さです。
最初の襲撃は道を挟んだ隣家で最寄りといったもいいでしょう。2番目もそこから近いと言っていいでしょう。
しかし続いて3番目は道を大きく迂回しており、更に4番目は来た道を戻るような場所にあります。ちなみに5番目は4番目の家から逃げた女性の追撃の為のイレギュラーだった可能性があります。
そして6番の襲撃後に8番目の家を通り過ぎて7番、そして戻って8番。
更に小高い場所に位置する9番を駆け上り、再びそこから下りて10番目の家に。
なんだか行ったり来たりしている印象です。
現在の地図上の道で再現してみました。
※実際には私有地を駆け抜けられたり、田んぼを走り抜けたりと地図にないルートを辿れた可能性もあります。
線が何重にもなっており、行ったり来たりを繰り返していた様子が分かります。
例えば10番が本当に憎いなら、思い人だった女性の襲撃(④→⑤)の後にするとしても、10番目の家は7番目に襲撃した家から近いので最短ルートは6→8→7→10→9→11と巡るはずです。すでに事件後半で多くの住民が状況を把握し、警察が来る時刻が迫ってきていることも予想されます。殺人で頭が冷静でなくなっていることも考えられますが、この非効率な回り方には何か意味があった可能性は考えられます。例えば実際の恨み順とか…?
ちなみに全体を最短ルートにするなら、1→2→6→4→5→8→7→10→9→3→11です。もしくは、1→9→3→4→5→6→2→8→7→10→11です。
※4→5に関しては4で逃げた人が避難した5を襲撃したというセットの関係なので切り離していません。
更にもう一つ疑問点としては、遺書で名指しをした「※」の家は地図で⑩からすぐの場所です。この家に関しては私的な恨みではなく、密猟ばかりしていると批判していたので、遺書に書いてみたものの殺すほど憎くなかったのでしょうか。
この順番についてはもう少し考えてみる余地がありそうです。
ちなみに襲撃した家についての詳細は「津山事件を学ぶ」のコラムでも紹介しています。もしよければ参考にしてみてください。

