サイトの方で津山市沼の斎神社を紹介しました。
決して大きな神社ではありませんが、非常に神秘的な雰囲気を持つ素敵な神社です。
渡来人の祖先への信仰から誕生した神社といわれています。
実はこのページでは紹介しなかったのですが、この神社の境内に一角にこのような記念碑があります。

大砲の弾丸のような形をており、見るからに戦争関連の物です。
帝国在京軍人會 東苫田村分會の名で「基本田造成記念碑」とあります。日付は昭和11年11月。
下に由来が書いてあるのですが、この内容がよく分からなくて、もしかすると違うかもしれません。
現物を載せておくので、違うようでしたらご指摘ください。

内容としては前半は忠魂碑に関するものです。
写真の中には写っておりませんが、このすぐ隣に忠魂碑があります。
ちなみに文字を書いたのは流産内閣で知られる宇垣一成です。

整ったきれいな字ですね。
世の中には達筆すぎて何を書いてあるのか分からないという怪現象が起こることもありますが、これなら完璧に読めます。
話しが本筋からずれてしまったので戻しましょう。
最初に忠魂碑を管理していたのは東苫田信徒会でした。
それが軍友会の発足に伴い、信徒会はそれらを移譲しました。基本財産という言葉もあるように、どうもその移譲された中には土地も含まれいてたのでしょう。
周辺の土地開発が進むにつれ、それらは徐々に手放されていきました。
その後に唐突に「農地の維持管理に支障をきたし」という文面が出てきます。忠魂碑の管理の為に軍友会で農地を持ち収入を得ていたのでしょうか。
しかしそれも難しくなり、土地をすべて手放すことにしたのでしょう。その時に忠魂碑の行先として手を挙げたのが沼町内の人々で、町内にある斎神社に設置のためのスペースを用意しました。
軍友会もそれを受け入れて、「戦死」を合言葉に設置場所の整備を行ったそうです。
事情は分かりますが、もう少し穏便な合言葉名はなかったのでしょうか。
そして後半がこの砲弾のような記念碑になります。
どうやら忠魂碑移転の時点では失われていたようですが、元々忠魂碑と記念碑はセットで設置されていたようです。
忠魂碑の移転に伴い復元を求める声が上がり、この記念碑も再現されることになったそうです。基本田造成記念ですから、帝国在京軍人會 東苫田村分會が保有していた土地を田んぼとして造成した際の物でしょうか。
沼の歴史をもう少し調べればわかりやすいのかもしれませんね。
