津山市史を読んでいると、昭和池についての記載がありました。
津山市の農業用水として作られたため池です。
完成は昭和13年、起工が昭和7年なので6年がかりの工事でした。
しかしその構想までさかのぼると、更に古い歴史を持ちます。必要性が論じられるようになったのが昭和になった頃の事のようで、県議会で議決されたのが昭和3年です。
なので構想から完成までとなると十数年の年月が必要だったわけです。
その原因の一つに場所がなかなか決まらなかったことがあります。
現在の場所に決まるまでに3つの候補地がありました。今回は津山市史から、その候補地について紹介していきます。
候補① 津山市山方字観音寺奥の谷
最初に候補地として挙げられたのが津山市山方の山中にある谷でした。
Googleマップの中央から上にかけて広がる山間の辺りです。
マップ中央のフラグが立っている場所が「観音寺バス停」です。
しかしこの場所にため池を作っても貯水量が期待できないという事で県に却下されました。
候補②津山市西田辺
県から一定規模以上であることを求められたことから、それに準じた3つの候補地を上げました。
西田辺はその際の候補①でした。市史で「第一」として紹介されているので、おそらく3つの中では最も条件のいい場所だったのでしょう。
具体的な位置について記載はありませんが、部落全体が沈没するという事が挙げられています。
先にネタバレすると、この第一候補は選ばれませんでした。なので沈没の規模が大きかったのではないかと想像します。
なので地図で表示している場所よりもう少し南、民家が多い辺りまで計画に含まれていたのではないでしょうか。
候補③津山市上横野周辺
西田辺に次ぐ第二の候補地が上横野です。
市史では「大榎」という地区である事が記載されていますが、残念ながら大榎がどこなのか特定できませんでした。
なので地図の中央にセットする為に企業の拠点を使用させていただきましたが、この辺りではない可能性があります。
上横野でも水没する民家が出ており、その数がなんと「三十数戸」と記載されています。昔はもう少しに賑わっていた可能性を考慮しても、この辺りで三十数軒の家が沈没に巻き込まれる範囲というのは、この辺りくらいしかなかったのではないかと推測しました。
ちなみにこの第二候補も選ばれませんでした。
候補③現在の昭和池の地点
という事で第三の候補として挙げられた地点が、現在の昭和池の地点です。
選ばれたであろう要因としては、3つ挙げられた地点の中で唯一家屋の水没無しで実現できる場所だったからです。
家が沈没すれば金銭的な補償も必要になりますし、立ち退き交渉などで時間も取られます。県がどちらを重視したのか分かりませんが、当時は不況から徐々に回復しつつある時期ですがまだまだ不安定な情勢だったことを考えれば前者が大きかったのではないかと思います。
これが最終的に完成した昭和池の現在の様子です。
沈没する家屋がないものの、家屋ギリギリまで枝を伸ばしたような変わった形の池になっています。
ちなみに昭和池は水が不足した場合に備えて周辺地域から水を引くための承水路も設置していましたが、完成してみればため池単体で満水の状態で、杞憂に終わったようです。
という事で今回は採用された昭和池の現在地以外の三つの候補地を紹介しました。
池の場所の策定にもいろいろな経緯があって興味深いですね。
