【衝撃】1966年に描かれた真っ赤な瀬戸大橋の怪

岡山県が発行していた地元情報誌を読んでいると、瀬戸大橋の完成予想図のイラストがありました。
この冊子が発行されたのが1966年の事なので、まだ構想の段階だったのでやや現在の瀬戸大橋とは異なる部分も見られます。

ちょうど時期的には坂出~下津井というルートが決まった頃です。


真っ赤…。
瀬戸大橋の色が決まるのはずっと後の事なので、この時期に現在のライトグレーの橋が架かるような事は想像もされていませんでした。

実際の問題として、当時は完成する橋が赤くなる事は考えられていた筈なんですね。
ただし実際は紅白になる筈でした。これは航空法の規制によるもので一定の高さがある鉄塔などは航空機から視認しやすいように紅白にすることが定められています。

予想図なので単に赤一色にしたのでしょうか。瀬戸大橋は国立公園である瀬戸大橋に紅白の建造物が居座るのは良くないと考え、航空障害灯を取り付ける事で色の規制をクリアできるように変わっていきました。
もしかするとこのイラストを作った時点では「せめて赤だけに出来れば…」と言うような想定があったのかもしれませんね。

ところでこのようなイラストのは瀬戸大橋が出来て便利になるよ…という公告というわけではありません。
イラストの右下にある文章を拡大してみましょう。

瀬戸大橋がいかに優れているかを書いています。
実際にこうしたポイントは瀬戸大橋の強みですが、実はこの時点では瀬戸大橋が作られるかどうかはまだ確定していなかったのです。

本四架橋は3ルートですが、この内のどれかが採用されると考えられていたんですね。
なのでここでアピールは外に対して瀬戸大橋の優位性を伝えるという意義があったのです。

個人的な驚きとしては当時から鉄道併用橋で検討されていた事です。
後に建造が決まるものの、オイルショックにより工事はいったん延期される事になり、橋の工事は1979年~1987年(開通は1988年)に行われます。
この時期でさえも「世界初」を連発しながらの工事だったのに、1960年代の時点で鉄道も!と感がられていたのは凄いなと思います。

という事で、今回は橋の誘致合戦が行われていた頃の思い出に触れてみました。

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