【倉敷】児島の学生服の隆盛期を支えた家守翁の像を見つけた

倉敷市児島小川の中山公園を散策したついでに、近辺を見て回っていると霊園の駐車場の一角に像が設置されているのを見つけました。
こちらです。


スーツ姿の老人です。
こういう像でご年配の方となると、議員さんが定番なのでそういうものだろうと思っていましたが近づいてみると違うことがわかりました。

この像の老人は家守善平という実業家です。

家森善平はかつて存在した「児島繊維」の創業者で、小川出身です。
学生服生産日本一を誇る岡山で、特に児島がその中心地として知られています。児島繊維はその歴史の中で最初期に学生服を手掛けるようになった企業の一つです。

児島を象徴するイベントの繊維祭の第一回目で表彰されたのも家守善平でした。


この像は同士が逝去して数年後に建造されたものです。
建設者は「壽翁銅像建設会」とあります。児島繊維ではなく有志による建造であることが、家守善平の児島繊維業への功績の大きさを物語っているようです。
児島で学生服を最初に手掛けるようになった企業には様々な議論がありますが、法人として取り組むようになったのは児島繊維が最古だったとも言われます。

同社では木正成公をブランドイメージに据えた「大楠公学生服」を展開していました。
しかし1960年代になると各社で生産設備が拡充していった影響で、生産過多になっていきました。
その中で大手企業まで倒産するような状況に陥ります。児島繊維はその時期は乗り切ったものの、1980年にとうとう力尽きて倒産してしまいました。


この像が建てられたのはまだ児島繊維が元気だった頃のことです。
台座に刻まれた文章にも同社や故人のエピソードが記されていました。

前述の通り児島繊維は廃業していますが、誰かが管理しているようで像や像の周りはきれいな状態が保たれています。もしかすると小川の人が地元の名士の像を守っているのかもしれませんね。

会社はなくなったとはいえ、現在の繊維の町、そして学生服の町としての児島を作り上げてきた偉人です。
個人的にはもう少しその名が知られるようになればと思ってやみません。




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