【津山事件】祖母と都井睦雄の血縁関係は無い? 真相に迫る

比較的近年になってから、都井睦雄と育ての親として共に暮らしてきた祖母の間に血縁関係がなかったという説が定説として知られるようになりました。

この説を裏付けるのは、祖母の結婚時期と睦雄の父親の生年です。

  • 睦雄の父・振一郎
    明治20年生まれ
  • 祖母の結婚時期
    明治24年

明治時代の出来事なので多少のズレがある可能性はありますが、それでも4年もの差が生じることは考えにくいです。
したがって、祖母・いねにとって睦雄は「結婚相手の連れ子の孫」という関係になると推測されます。

もちろん、この説が事実だとしても、祖母と睦雄の関係に疑義が生じるわけではありません。両親を幼い内に亡くし、姉と共に祖母に育てられた睦雄にとって実母に近しい存在であったことは間違いないでしょう。
ただし、この事実を通して事件に関して見方が変わってくる部分もあります。たとえば、自分と血縁関係のない孫の後見人となった理由などです。


祖母と睦雄の関係について

祖母はいねは、明治24年に睦雄の祖父である菊一郎と結婚しました。しかし、大正7年に菊一郎が亡くなります。このとき旧民法の規定により、直系卑属である振一郎が家督を単独で相続しました。祖母はいねは相続の対象外となります。

しかし、振一郎も同年に亡くなりました。一時的に睦雄の母・君代が代理となり、睦雄が家督を相続する予定だったようですが、君代もすぐに亡くなります。菊一郎、振一郎、君代はいずれも肺病で亡くなり、「肺病が出やすい家系」(ロウガイスジ)と言われました。この事実や睦雄がまだ幼かったことなどを考慮して、睦雄は家督相続から外れ、一部の財産を分与されるに留まりました。そして祖母が後見人として睦雄と姉のみな子の世話をすることになりました。

血縁関係がなくとも、祖母にとって睦雄はかわいい孫のような存在だったのかもしれません。しかし、もう一方で、睦雄が成人するまで祖母が遺産を管理することで生活が安定するというメリットもあったと考えられます。実際、貝尾で購入された家や畑の資金源は彼の遺産から来ていました。
嫌な見方をすれば、都井家の財産を幼い睦雄を介して享受する為に後見人となったのかもしれません。もっとも、過保護なほどに睦雄を溺愛するエピソードも残されており、もしそうだとしても決して「それだけではない」のは間違いないでしょう。


睦雄はこの事実を知っていたのか?

睦雄が血縁関係の事実を知っていたかどうかは不明ですが、状況的に知っていても不思議ではないと考えられています。このことを踏まえると、事件において睦雄が真っ先に祖母を殺害したことに対する見方が変わる方もいるかもしれません。
育ての親であっても血縁関係がなかったことが、睦雄の判断に影響を与えたのかどうかは分かりませんが、非常にデリケートな問題ですので、ここでは深追いを避けます。


祖母への動機についての新しい視点

近年では、「睦雄が祖母を殺害する動機があった」とする見解も浮上しています。前述の通り、祖母は後見人として睦雄の相続財産を管理していましたが、学が十分ではなかったのか、財産を安く買い叩かれることが多かったといいます。後にその事実を知った睦雄にとって、血のつながりのない祖母が自分の財産を減らしていたという認識が、殺意につながった可能性も考えられます。
また祖母の意向で進学をあきらめざるを得なかったという事も、後の生活がうまくいかなかった睦雄にとっては殺意につながった可能性もあります。

睦雄の遺書には祖母を死なせたことを懺悔する内容が書かれていますが、何かと言い訳が多い遺書です。これも死を目前にしてなお自身の評判を気にした結果だったのではないかとも推測されています。このように、祖母に血縁関係が無かったという視点に立つと、祖母や睦雄の心情や行動には多くの考察が可能です。




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