玉野市立・奥玉小学校とは?

懐かしい写真をご紹介します。
玉野市立奥玉小学校の校舎の写真です。

取り壊している最中の写真です。
1953年開校、1992年3月に廃校になりました。
デジタル岡山大百科によると、廃校時の在籍数は87名。(※廃校時点での卒業生である6年生が含まれているは判りませんでした)
その後も児童数の増加が見込めない事から、廃校となりました。

廃校後のこと

奥玉小学校は近くにある玉野市立・玉小学校と統合しています。
廃校時の在校生は全て玉小学校へ通う事になりました。

玉小学校は奥玉小学校から徒歩で10分程度の場所です。
奥玉の学区は余り広くないので、徒歩での通学も十分に可能な範囲でしょう。

そもそも奥玉小学校は玉小学校の分校のような性格の成り立ちでした。
玉地区の三井造船(現・三井E&S)が好景気だった時代に人口が増えた為に新たに設置された学校です。
これは小学校のあった奥玉地区も同様で、三井造船で働く人々を受け入れるための住宅地として玉の一部だった土地を開発して誕生しました。

合併によって学区が広がった玉小学校ですが、2017年の時点で在校生の数は106名です。
少子化の問題を感じさせられる数字です。

奥玉小学校の建物の跡地は玉野市総合保健福祉センター(すこやかセンター)が出来ています。
ちなみにすこやかセンターの一角には、今でも奥玉小学校の校門が残されています。




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