茶屋町から倉敷・彦崎へ?下津井電鉄の終点が「彦崎駅」になるかもしれなかった理由

少し前の話になりますが、CHACHAで買い物をしたついでに、周辺を少し散策してきました。
その時に見かけたのが、茶屋町駅の駅名標です。
これ、CHACAHの方面から言うと、茶屋町駅の少し手前に位置しており、なんでこんな場所に?と思った人も多いと思います。


次の駅があまき(天城)と表示されている事から分かる人もいると思いますが、これは廃線になった下津井電鉄線の駅名標です。
下津井電鉄線は1991年に廃線になった鉄道路線です。下津井からフェリーで本州-四国間を行き来する人のための連絡路線でしたが、瀬戸大橋の完成で乗客が激減し廃線になりました。

当初の終点は茶屋町駅で、JRの茶屋町と接続するようになっていました。ただし1972年に児島小川駅~茶屋町駅の区間は先に廃止されています。
線路跡はどちらの区間も大半が自転車道として整備されていますが、風の道として線路跡である事を打ち出している児島~下津井駅区間と比べると、児島小川~茶屋町駅区間は一部で駅の痕跡が残っているものの、特に線路跡であることを打ち出したり、愛称をつけられたりはしていません。
なので、下津井電鉄線の存在を知らない人には、謎の看板となっている事でしょう。

ところで、この終点の位置について1987年発行の「児島風土記」という本の中で岡山市南区の「彦崎駅」周辺だったという事情が記されていました。

JR彦崎駅は茶屋町駅の隣に位置する宇野線の駅です。
ここを終点としようとしていたものの、彦崎の住民から賛同を得られず断念したそうです。
そこで協力者が多かった茶屋町を終点とした…という事情があったそうです。

距離的には約3.2kmほどですが、彦崎まで延伸することで灘崎町(※現在は岡山市南区)も営業エリアに含められます。
その効果を期待しての計画だったのかもしれませんね。


ところで、先ほどの児島風土記ではもう一つ興味深い内容が触れられています。
当初の計画の中に、茶屋町駅から倉敷駅を結ぶ計画があったとするものです。

話しが具体化する事は無かったようですが、個人的にはこれは実現していたらいいのにと思う内容でした。
茶屋町駅は瀬戸大橋線が通る、鉄道路線における四国との玄関口ともいえる役割を担う駅です。…が、倉敷駅へまっすぐ向かう鉄道路線はありません。
茶屋町駅から倉敷駅へ向かう場合は、茶屋町駅前からバスに乗って倉敷駅へ向かうか、岡山駅まで行って、伯備線に乗り換えて倉敷駅…という順路になります。バスの方が価格も時間も少し楽なのですが、渋滞の影響を受ける可能性があります。
なので鉄道があれば、それを選んだ人も多いのではないかと思うのです。「たられば」はよくありませんが、もし実現していたら下津井電鉄線の収益源として活躍していた可能性もあるのではないかと想像するのでした。




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