岡山市北区宿に戦後にバラック住宅が建てられ、旭川沿いに小さな集落が出来ました。
その経緯については外国人らが勝手に家を建てたなどの伝聞もありますが、その内容については今回は深堀しません。気になる方は過去の記事をご覧ください。
そうしたバラックの建物も今は昔。
新たな道路の計画で撤去が進むほか、いくつか残されている建物も人が住んでいない廃屋になっています。
そもそもバラック住宅は一般的な木造住宅と比べて耐久性が低く、既に崩壊が始まっているものがほとんどです。

先日の訪問時に見かけたバラック住宅の一つ。
建物としての体裁は残されていますが、屋根は既に失われているようで、外壁も窓枠もぼろ悪露になっています。
玄関のドアだけはしっかりしているのは、このような住宅でもセキュリティは重んじられた名残でしょうか。
他のバラック住宅も、概ね似たような様子か、もしくはもっと崩壊が進んでいるような状況です。
ところでこの住宅、窓から内部の様子をうかがう事が出来ました。
中に人が住んでいる様子は当然にありませんし、残置物も無いので、バラック住宅の内装がどのような感じなのか紹介してみたいと思います。

これが玄関の辺りの様子です。
内部もボロボロですが、経年劣化の部分を除けばごく普通の住宅だなというのが感想です。
手前側が土間で、その奥に部屋が続きます。
もちろん現在は経年劣化で荒れ果てていますが、かつてそこには畳が敷かれ、生活の道具が並んでいたはずです。ベニヤ板で整えられた壁面からは、限られた資材の中で少しでも「暮らしやすさ」を追求しようとした工夫が読み取れます。
もっとプレハブ倉庫のような質感を想像していたので、思ったよりも暮らしやすそうというのが私の感想でした。
ただ、壁がはげかかっている部分を見ると、外壁になっているトタン板にベニヤかよく見積もってもベニヤの合板を貼り付けて壁にしているだけのように見えます。
手前側ではトタン板の素材がむき出しになっているようにも見えます。ベニヤがしっかりしていた頃なら、建物の見た目は整っていたでしょうが、それでも防寒や防音の性能に関しては期待できる水準ではなかったでしょう。
冬は寒くて夏は暑い、県道がすぐ上を通っている事を考えると騒音も大きかったでしょうし、快適な暮らしではなかったのではないかと想像します。
こちらは別の住宅の玄関の辺りです。
コンパネも当てていなかったようで、鉄板がむき出しになっています。
ただそれは現在を生きる私の感覚での話です。
伝聞通りであればこれらの建物が建てられたのは戦後間もない混乱期の事です。その時期にこれだけの住環境を整えていたのであれば、十分に満足できる内容だったのであは無いでしょうか。
この家を手に入れた時の人々の気持ちを思うと、胸が締め付けられるようです。
戦後という特殊な時代が生んだ「バラック」という建築形式。それが姿を消す前に、その内部までを記録に残しておくことは、地域の歴史を語り継ぐ上で欠かせない作業だと確信しています。


