浅口市の長川寺にある細川通董の墓所にお参りしてきました。
細川通董、ご存じでしょうか。
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、浅口周辺を統治した人物です。

現地の看板にはこのようなイラストがあります。
この人物に関しては近年になって新たな研究が進んでおり、来歴などに関しては真偽に微妙な部分があります。
鴨山城を自らの拠点として改修し、その際に墓所のある長川寺を菩提寺としました。この時に寺の整備も行っており、同寺の公式サイトでは「歴代細川家の中でも当寺と地域の興隆に最も尽力されたのが鴨山城主細川家七代目の細川通董公です」と案内しています。
1587年に豊臣秀吉の九州平定の為の移動中に船で亡くなったとされます。
長川の墓は4代後の末裔によって作られました。
では長くなりましたが、実際の墓を紹介します。

こちらが実際の墓所です。
長川寺併設の霊園の最も高い辺りに位置します。霊園のあちこちに案内の看板が設置されているので迷う事は無いでしょう。
決して知名度が高い武将ではないので、有名な武将の墓のようにお供えがあふれている…という景色はありませんが、とても奇麗に管理されています。
分かりづらいかもしれませんが、墓石の外側に長方形の玉垣、内側に長方形の玉垣…という二重の構造になっています。
こちらが墓石です。
文字はかなり薄くなっていますが、それでもまだ判別は可能です。
当地の案内板には墓石と玉垣の石の材質が異なる事から、まず墓石が作られて後の回忌法要の際に玉垣が追加で作られたのではないかという説が紹介されています。確かに見るからに材質の違いが目立ちますね。
隣には石碑。

この石碑については市や長川寺の紹介ページでも特に触れられていません。
文字が刻んであるようにも見えますが、こちらは劣化が強く、私の撮影した写真では読み取り切れませんでした。
それと立派な灯篭が一対。

灯篭の窓の部分が〇と◇になっているのが珍しいです。
私は各地の寺院を訪れると、よく有力者の墓をチェックしています。しかしこれだけ手の込んだ墓所に当たることはそうありません。
古い墓に興味がある…というと、妙な響きですが、古い墓を調べているような人がいればお勧めのスポットだと思います。