【矢掛町】元総社市議のものらしい無縁墓に刻まれた文言とは…?


矢掛町の蓮華寺様にお参りに行った際、立派な霊園がありました。
寺院所有の物と思われますが、矢掛町の人口を考えると広めで水道などの他に東屋も整備されていました。


ここは水子供養が盛んらしく、たくさんのお地蔵さんが並んでいました。
倉敷市にも五流瀧院のズラッと並んだ水子地蔵がありますが、こちらもかなりの数があります。
一つ一つの地蔵が凝った形状なのも注意を引きます。

…と、今回の話題はこちらではありません。
この水子供養に隣接して無縁墓が集められています。身寄りがいなくなり、管理費の支払いが滞ったのでしょう、多くの墓石が元々の場所から移されて一か所に集められています。


実は正面から見る前に裏から見たのですが、その中に気になる文面が刻まれたものがありました。
実名が入っていないので、そのまま掲載します。


先に挙げた無縁墓の写真の戒名が二つ刻まれている墓石の裏側になります。
昭和8年に池田村の村会議員、29年から45年まで…の部分は他の墓石で見えませんが、その後に市政の話しが出るので恐らく市議会議員になったのでしょう。
ここに墓があるのだから、岡山県の事だろうと仮説を立てて池田村を調べてみると、昭和29年に総社市を発足する前身の一つの村として存在が確認できました。
市議になった後も引き続き議員として活躍、昭和45年なので市議を4期務めたところで37年間に及ぶ議員生活に終止符を打ったようです。
さすがにネット上では昭和45年の選挙資料が確認できないのですが、昭和29年~昭和45年まで議員を務めていて次の選挙に出ていない人物という条件で探せば確認は出来そうです。

興味本位ではありますが、せっかくこうして功績を見る機会があったのですから、どういう人物だったのか調べてみたいと思います。
また総社方面に出る際に図書館に寄ってみましょうか。




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