岡山藩主で名君として名高い池田光政。
その功績を追いかけると、インドアな印象を受けますが実は狩猟を好んだとする記録を読んだことがあります。
たまたま御津町史を開いていたところ、具体的な数字が出ていたので紹介します。
・狩猟回数:32回(期間37年)
・デビュー戦:鹿久居島(1646年)
・最終戦:和気・天神山(1682年)
・主なターゲット:鹿
ちなみに32回の内の10回が隠居した後です。
現役時代はさすがに忙しかったのでしょう。
最終の天神山は亡くなる年で、記録によると前年秋から体調を崩していたと言われます。本当に狩りが好きだった様子が伺えます。
もちろんお殿様の狩りなので、私ども庶民が想像するような体力を要求されるようなものではなかったのでしょうが、それでも江戸時代に70代になっても狩りに出るなんて凄いですね。
狩猟対象として鹿が多かったのは、最初に置いた御留場(一般人を立入禁止にした狩猟場)が鹿が多い鹿久居島だった事にも関係していると思いますが、そもそも光政の時代の岡山は鹿が多かったそうです。
家臣が余りに大掛かりな狩猟を回数こなす為、周囲の目を気にして控えるように求めたという逸話も紹介されています。
軍事訓練のように取られかねないという心配だったのでしょうね。