倉敷市木見の辺りを散策していると、頼仁親王墓がありました。
頼仁親王は後鳥羽天皇の皇子です。
承久の乱の際に後鳥羽上皇に連座して備前児島(※現・児島半島)に流され、当地で生涯を終えました。
児島では兄の覚仁親王と合流し、父・後鳥羽上皇の供養塔(後鳥羽上皇御影塔)を建立しています。
更に当時衰退していた五流の寺院と十二社権現宮の再興をしており、現存する五流の寺院の「五流尊瀧院」の大僧正は頼仁親王の子孫と考えられています。
頼仁親王は前述の通り後鳥羽天皇の皇子なので、この墓地は宮内庁によって管理されています。
熊野神社のそばには覚仁親王の墓と考えられる遺跡もありますが、こちらは確認された物ではないようで宮内庁の管理下にはありません。
宮内庁管理と言えば聞こえはいいのですが、一般人が立ち入る事は出来ません。
宮内庁のガードは固いのです。
なので柵ごしに覗くだけです。
見易い場所まで行けるようになっているのは、宮内庁のせめてもの優しさでしょうか。
しかし猫までは統制できなかったようです。
羨ましい…。
ところでこの墓の手前にはこんなものがありました。
頼仁親王御陵前バス停。
どうやら今はこの路線は運行されていないようですが、標識版だけは今も残されています。
熊野神社、五流尊瀧院周辺からだと少し距離はありますが、散策してみてはいかがでしょう。