岡山市東区乙子で道標を見つけました。
場所は千町川に架かる乙子橋を渡ったすぐ先、岡山市消防団太伯分団機庫の敷地です。
左 うしまど、右 幸西とあります。
瀬戸内市牛窓町と岡山市東区の幸西地区を示す道標です。
これ自体が古くて、そこそこの価値があるというのもありますが、この道標を取り上げたのは今の道路事情と異なっているからです。
橋を抜けた先を右に曲がれば幸西というのは同じですが、牛窓は奉公的に左ではなく直進です。
この先が牛窓です。
では国土地理院でダウンロードできる最古の年代である1961年の乙子周辺の地図を借りてきましたのでご覧ください。
写真左側の十字路が道標がある場所です。現在はこの道をまっすぐ進む県道があり、牛窓を目指すならそれを進むのが近道です。
しかし御覧の通り道は住宅地までで途切れます。厳密には細い道がありますが、恐らくきちんとした道というよりはあぜ道でしゅ。
まっすぐ進むルートはそもそもなかったのです。
ここでもう一つ疑問なのが、まっすぐ行く道が無いとしても幸西と同じく右に曲がって進んだ方が近いのではないかという事です。
これも1961年の航空写真で解決しました。
(写真提供:国土地理院)
写真下側の水辺が水門湾です。左が東幸西、右が水門町です。
実は幸西方面に進んでしまうと、川を超える術が無くなってしまいます。
現在なら幸島大橋と以前にこのブログでも紹介した水門町の千町川大水門で川を渡る事が出来ますが、それが写真上にで確認できません。
という事で、道標について少し掘り下げてみました。