井原市の民話の本の中に匠ヶ池という江戸時代初期に作られた溜め池のエピソードが紹介されていました。
この池を作る際に難工事になった為、人柱を建てる事が提案されました。
人柱は難工事の際に神に人間をいけにえとして捧げる事で、神の加護を得たり障害を取り払ったりする目的で行われます。
大抵は誰が人柱になるかで揉めるもので、匠ヶ池もその例に漏れず人選が難航しました。
そこで最初に通りすがった人を人柱にしようという事になり、待ち構えていると大工がやってきました。
これを捕まえ、無理矢理に埋めて人柱としました。
工事は人柱のお陰か無事に完遂し、後々まで周辺住民が水に困る事は無くなりました。
人々は人柱になった大工を匠様として祀り、更に出来た溜め池にも匠ヶ池と名付けました。
池は現在も残っています。
これが匠ヶ池です。
現在まで人々の暮らしを灌漑から守り続けているのであれば、人柱になった大工も浮かばれる…かどうかは不明ですが。
この話は工事の記録には残っておらず、民話として伝わっているのみです。
確かに大きな溜め池ではありますが、江戸時代初期でこの規模の溜め池に人柱をたてるのか?というと、個人的には疑問です。
難工事であった事や、貴重な溜め池である事を伝える為の話しや人柱の伝承に変わったとか、大きく伝えるようとそのような話を生み出したとか、個人的にはそんな感じでは無いのかなと思いました。
そもそもで鎌倉時代の城跡が工(匠)ヶ城なので地名としての匠の方が先にあったと考える方が自然です。
しかし匠様として祀られている祠も気になるところです。
もしかすると工事の最中に亡くなった人がいて、その人物が人柱として祀られるようになったとか、その可能性はあるかなと思います。
また近くを通る際に匠様を探してみたいと思います。