私は玉野市の和田にある歯科にずっと通っていて、今も年に何度かは訪れています。
そのついでに周辺を散策していた時の事です。たまたま住宅地の中に入っていくと、こんな空き地を見つけました。
神社跡と思しき作りです。
手前側に拝殿があって、その奥が本殿…、そんな風景が思い浮かぶような感じです。
実際に手水のような石もあります。
深さが無いのが少し気になりますが、敷地の入り口にこのような石があれば、十中八九で手水でしょう。
右側の建物は社務所の後のようですし。
しかし1980年代の地図をめくってみても、個人の名前があるだけで寺社やそれに類する施設のような痕跡はみられません。
もう少し遡らなければならないのか、それとも新宗教で個人名でやっていたのか。
この社務所のような建物の中には表彰状もあります。
この表彰状を送られた先は「和田池の内一三衛生組合」です。
この建物は町内の公会堂のような役割も果たしていたのでしょう。玉野では余り見かけませんが、神社の建物が公会堂や集会所を兼ねているケースは決して珍しくありません。
…とすると、ここは新宗教などではなく伝統的な神社だった公算が高いように思います。
鳥居の足の部分のように見える遺構もあります。
名前は読めませんが、施主という書き方もしてあるので…、やはり宗教施設だったのは間違いなさそうです。
もう少し古い時代の地図が見られれば、もしかすると記載があるのかもしれませんね。
玉野市の古い1970年代以前の地図はなかなか出回らないので、また機会があれば調べてみようと思います。
本当は近所で聞き取りをしたかったのですが…。
神社の周辺は御覧の通りの状況で、どうも人が住んでいる気配がありません。
勿論で歩いているような人も見当たらず。昔、三井造船の社宅が多くあった時代の住宅地です。少しずつ取り壊されて新しい建物に入れ替わっているので、もしかすると地図が見つかってアップした頃には全く違う風景に生まれ変わっているかもしれませんね。