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【東区】干拓の地に刻まれた自治の跡|幸島村役場跡と「幸島新田」のいま

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岡山市東区で見かけた幸島村役場跡。
水門町の住宅地の中にあります。

1889年に町村性の施行により誕生した村です。
wikipediaの邑久郡の歴史のページによると「東幸西村、西幸西村、南幸田村、北幸田村、東幸崎村、西幸崎村」が合併して誕生したようです。
1953年に周辺町村と合併して西大寺市を発足して、自治体としては消滅しました。
手持ちの資料に幸島村の役場があった頃の写真は見当たりませんでした。

そしてこの跡地にも痕跡のようなものは見当たりません。
草が茂りすぎているので、冬に再訪したら何か見つかるのかもしれませんが…。


石碑の左下には昭和48年8月建立とあります。
役場跡の石碑が建てられているということは、この時点では役場の建物が失われているはずです。
となると遅くとも半世紀以上前には建物が無くなっているわけなので、何もなくても不思議ではないような気もします。

周辺は江戸時代に幸島新田として新田開発されて誕生した土地です。
元々の開発の発案者は池田光政ですが、技術的な問題から実現したのは綱政の時代です。

今でも農業は盛んですが、人通りは少なく空き家も目立ちます。
たまたまお会いした地元の方が「水門はもう人がおらんけぇの」と寂しそうに語っていました。




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岡山生まれ、在住歴=人生。興味がある場所は歩いて見に行く「まち歩き」実践者。 郷土史だけでなく、地域グルメの歴史や廃線跡などの隠れた観光スポットを特に深掘りして発信。現在から過去まで網羅する岡山の情報サイト。 サイト開始:2002年~。25年以上の運営実績。

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