前回のブログで児島にあった海技大学校の分校跡を紹介しました。
今回はその続きで、敷地内から移された記念碑をご紹介します。

まず中央の大きなものから。

こちらには鎮魂の碑とあります。
戦争でなくなった方の慰霊のためのものです。海技大学校の敷地内になので、特に海軍での戦死者向けだった可能性はありますが特に記載はありません。限定条件をつけるような類のものでもありませんしね。

兒島(児島)商船学校跡の石碑です。
兒島商船学校の石碑は裏に解説があります。

児島商船学校は野崎武吉郎の還暦の祝いで貰った祝い金(当時のお金で5万円)を基金として設立した商船学校です。
明治41年に児島郡立の学校として設立、大正3年に岡山県立へ移管します。
昭和14年3月で廃校。卒業生は781名でした。それから約40年後の昭和53年にこの記念碑が建てられたそうです。

野崎武吉郎は塩田王として名を馳せた野崎武左衛門の孫です。
父(武左衛門の長子)が早世した為に若くして家督を継ぎ、塩田業を順調に発展させました。

右側のはこちら。
これは児島海員学校の同窓生が建立したものです。
残念ながら文字が薄れていて内容は余り読めませんでした。
児島海員学校は1939年に設置された児島海員要請所が起源です。時期的に勘付いた方もおられると思いますが、戦争の為に船員を育成する必要があった事が設立の要因の1つです。
1981年に廃止、これが前述の海技大学校児島分院へ継承されました。

以上の3つの石碑です。なるほどこれらは敷地外に出して誰もが見られるようにする価値のある内容ばかりですね。
児島の歴史を物語る重要な史料です。

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