高梁市の成羽町の坂本地区にかつて小学校がありました。
1873年に希賢小学校として創立、戦後の1947年に坂本小学校に改称されました。

学校の所在地は吹屋ふるさと村の観光スポットの一つとして知られる西江邸の近くです。
かつての通学路から見る坂本地区。

吉岡鉱山からも近い場所にあり、地区もそれによって栄えていたのでしょう。周辺では西江邸を筆頭に、かつての賑わいを思わせる立派な建物が幾つも見られます。
しかし1972年に閉山。学校は生徒数が減少した為に1994年3月で成羽小学校に統合する形で廃校になりました。

岡山県立図書館が提供するかつての小学校のデータベースの「思い出の学び舎」によると、最終年度の在籍生徒数は6人だったそうです。

かつての通学路は現在もそのまま残されています。
通学路の看板も倒れかけているものの、現在も当時のままの位置にあるようです。

学校へのルートは南北に2本。
実は1本は西江邸に向かう途中の分かれ道です。特に観光地化されているわけではないので案内はありません。
もう1本は坂本駐在所の裏を通る道です。

通学時の賑わいを失った標識が寂しそうです。
道は小学校にしか通じていないので撤去されなかったのでしょう。

逆に小学校にしか行けない道にこの標識を建てたのも違和感を感じました。

こちらがかつての校門跡です。
「坂本小学校跡」という石柱が立てられています。

側面に先程解説した小学校の歴史が刻まれています。
しかしこのような石柱があっても、校舎跡は特に管理されているわけでもありません。

そもそも縄やフェンスをしてあるので中に立ち入ることは出来ません。
以降の写真はそれらより後ろから、望遠レンズなどで撮影しました。

2022年7月時点での坂本小学校跡です。
季節が夏ということもあって草が猛烈に茂っており、レトロな佇まいの校舎がよく見えません。

この場所に来るのは初めてではありません。
過去に訪れた時は災害などが起きた場合の避難場所に指定されており、グラウンドまでは立ち入れたような記憶があります。

現在でも指定されているかどうかは分かりませんが、校舎の損傷が激しくなっており、個人的には建物に近付くこと自体も第二のリスクになりかねないのではないかと思います。

続いては校舎から少し離れた場所にある施設です。校舎の建物と比べて明らかに新しいです。

写真では分かりづらいですが、「坂本 生涯学習の館」という看板が掛かっています。
元々は小学校の施設だったのが生徒数の減少にともなってか、それとも廃校後かに地区住民の学びの場として開放されるようになったのかも知れません。

この建物の写真向かって右側の奥に体育館がありますが、残念ながら写真を撮っている地点からは殆ど見えませんでした。

フェンス越しからの校舎跡。
草が猛烈に茂っていますが、驚異はそれだけではありません。

この何処かにスズメバチの巣があるようで、実は撮影中に周りを数匹が飛び回っていました。
敷地内には立ち入らずフェンス越しなのに!と思っても、彼らのルールとは一致しないようです。

この時のハチの動きについてネット検索をしてみたところ、「みんなのハチ駆除屋さん」というハチ駆除の専門業者のサイトで解説されていました。

サイン2:警戒

異常を感じると、警戒して飛び回ります(警戒飛行)。
例えば、人間が巣に近づいた時などに、「ここは近づいちゃダメだよ!」とメッセージを送る意味で、人間の周りを飛び回ります。

第2段階に入ってロックオンされていたようです。
ちなみにこの次の段階が顎を鳴らすなどの威嚇行為なのだとか。
坂本小学校は前述の通り奥まった場所にあります。ここで刺されて倒れたりなどすると見つけられない可能性もあります。
彼らの活動時期に近付くことはしないほうが良いでしょう。

小学校によくある像も半ば自然に飲み込まれています。
趣のある校舎ですがネット上に散見する侵入者による写真や動画を見る限り、再利用は難しい状態のようです。
実際に高梁市が廃校舎の再利用を募る「廃校活用のご案内」にも坂本小学校は含まれていません。




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