久し振りに倉敷市の玉島に行ってきました。
通る事は何度かあったけど、降りて見て回るのは何年ぶりとかでした。

玉島港にバイクを停めて歩きます。
小さい船がたくさん係留されていました。

玉島も昔ながらの港町の趣がありますね。
この道を歩いて、西爽亭へ向かいます。

殿様が宿泊された場所です。
そして、玉島の恩人として知られる熊田 恰が自害した場所でも有ります。
1868年、備中松山藩は岡山藩より朝敵(天皇、朝廷の敵)として、マークされていました。
そのような状況下で熊田 恰が150名以上の兵を引き連れて玉島へ戻ってきたので、玉島は岡山藩の兵士に囲まれ、緊張状態に陥りました。
状況を鑑みた熊田 恰は、自らの命と引き換えに、玉島での戦争を回避し、同行していた部下に害が及ばないように事態を収束させたのでした。
内部の撮影の可否はよく判らなかったので、撮影していません。
案内の係りの人が色々と教えて下さったので、勉強させていただきました。
続く…♪