早島町の龍神社をお参りした時に、境内に一つ名前の分からないお社がありました。
小さな境内社です。
龍神社の境内にある祇園神社(進雄神社)の脇に有ります。
小さいながらも鳥居もあることから、地元の方の信仰は厚い事が伺えます。
さて、このお社の隣に石碑が立てられています。
昭和17年に三千円の寄付があったことを記しています。
第二次世界大戦の頃の寄付です。
この頃の貨幣価値を調べてみました。
伊万里市民図書館が昭和17年の貨幣価値に関して答えた回答があったので、それを使わせて頂きます。
基準の企業物価指数は平成25年です。
当時の貨幣価値は、現在では約372倍。
なので3,000✕372=約1,116,000円です。
ところでこの石碑の右上にコンクリートを塗りたくった様な形跡があるのにお気づきでしょうか。
この部分だけをアップで見てみましょう。
三文字に見えますが、四文字です。
一文字目はコンクリートが剥げて苔でも変えているような感じになっています。
結論から言うと「大東亜戰」。
大東亜戰 必勝祈願
…このように書いていたのです。
敗戦後にその部分だけを消してしまったのでしょう。
もしかすると社の名前が見当たらないのも、戦勝に関係するよう名前だったなどの事情があるのかもしれません。
その内に早島町史などの資料を調べてみましょう。