岡山市の岡山県護国神社周辺を散策した際に、少し足を伸ばして圓常寺の石井十次の最初の妻である内埜品子の墓を見てきました。
参道の階段の脇に案内をする看板があります。
これは私の記憶が正しければ、最近になって作られたものです。
以前は見つけられなくて断念したスポットです。
墓の周りはこのように整備されています。
左奥の墓のそばにNPO法人みつばちと書かれた石版がありますが、これは県内外の様々なNPOなどの組織が同様にしており、墓の周囲をぐるっと囲むようになっています。
石井十次と共に岡山孤児院設立のきっかけとなる最初の子供を預かった女性です。
享年31歳で早世された為か児童福祉のジャンルで名前が上がるのは石井十次になりがちですが、この方の功績も忘れてはいけません。
こちらが内埜品子の墓石です。
この場所は岡山孤児院を見渡せる場所にあり、石井十次も子どもたちを連れてよく上がってきた場所だそうです。
後に孤児院は岡山を離れますが、こちらにある間は石井十次らが足繁く通っていたのでしょう。
そして石碑を挟んで反対側にあるのが岡山孤児院で亡くなった子どもたちの墓です。
天国でも内埜品子は子どもたちに囲まれて過ごしているのでしょう。
墓石の側面に石井十次の名を見ることが出来ます。
そして墓へ向かう途中には石井十次の最期の歌という歌碑があります。
「鮎は瀬に住み 鳥樹に宿る 人は情けの下に住む」
江戸時代の民謡で、石井十次はこの歌を気に入っていたそうです。
福祉の世界に生きた人らしいなと感じました。
関連リンク:内埜品子の墓