倉敷市の熊野神社の境内に隣接する場所に、かつて大願寺という寺院がありました。
周辺を散策している時に「日座衆三十五ヶ寺筆頭 大願寺跡」という標柱が作られています。
この寺院は熊野神社の別当寺、神仏習合時代の熊野神社を管理する寺院だったようです。
標柱の隣にある看板によると三重塔もあるなど、相当な規模の寺院だったようです。
しかし三十五ヶ寺あった寺院も時代と共に衰退し、更に池田光政が藩主を務めた時代に行われた寺院整理の影響も受けて規模は縮小していきました。
明治時代まで寺院は存続しています。
明治5年新設の桜井小学校は同7年から大願寺の客殿を校舎にしていたようです。
ちなみにこの学校は現在の郷内小学校の前身の一つです。
大願寺の標柱の隣には上の写真のように学校跡の標柱も設けられています。
この時期には神仏分離が実施されており、客殿を学校用に提供できたという事は明治7年頃には廃寺になっていた、もしくは実質的な機能を喪失していたのでしょう。
二つの標柱は道路側に立てられており、実際の場所についてはそこから類推する事になります。
恐らくこの忠魂碑がある辺りが大願寺だったのではないでしょうか。
建物が無くなってしまうと観光スポット等としての魅力は失われてしまいますが、掘り下げて見るとこうして興味深い歴史が出てきます。
歴史好きはやめられませんね。