岡山市の最上稲荷にかつて中国稲荷山鋼索鉄道というケーブルカーが通っていました。
戦時中の金属不足の為に、最上稲荷の本殿と奥ノ院を結ぶという重要性の低い路線は鉄材供出の憂き目にあって廃止されました。

山下駅と奥ノ院駅の二駅のみの路線でしたが、山下駅は後に旧本殿を移設する際に痕跡は消えてしまいました。
しかし山中にある奥ノ院駅の遺構は多く残されています。

例えば奥ノ院へ向かう途中でみられるこちらもそうです。


右奥に見える石積みがホーム跡で、傾斜が平らになっている辺りが駅舎だったそうです。
実はこの記事を書こうと思ったのは、これ以外の遺構が見える場所が現在は立ち入り禁止になっている為です。

手元にそれ以前の写真があるので、見に行けないまま立ち入れなくなった方にもお見せしたいと思います。
その前にもう一つの遺構をご紹介します。

ラジオ塔です。
これは奥ノ院への参道の途中にあるので、非常によく目立ちます。

ラジオの普及期に各地へ設置された物で、まだ高価で庶民にはなかなか手が伸びないラジオを一般の人に聴取できるようにしていたのです。
奥ノ院駅を利用する人達の為に設置されていたのですね。

写真の向きから左奥に奥ノ院駅の設備の遺構があります。

茂みの中でいきなり2m以上も低くなっており、そこにかつてケーブルカーの巻上機が設置されていたであろう施設の遺構が残されています。
現在はそもそも立ち入り禁止ですが、入れるようになったとしてもよく見ていないと本当に危ないのでご注意ください。

何かの遺跡かと思いそうですが、よく見るとボルトが覗いていたりして近代の施設である事が判ります。

前述の通り現在は見ることが出来ません。
聞いた話によると整備して見学が可能になるような計画もあるそうです。
その時は私も見学に行こうと思います。




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