1951~1952年頃の岡山市街地を中心とした観光地図を見つけたのでご紹介します。
実はこの地図が掲載されている冊子自体を見ても時期についての詳細は判りませんでした。
ただし原尾島にある競馬場が1952年までで営業を終了している事と、児島湾締切堤防の工事が始まったのが1951年のことなので、この2つが同時に掲載される可能性があるのは1951年~1952年までです。
まず興味深いところで言えば、前述の原尾島の競馬場でしょうか。
この後、岡山市南区の三蟠港の辺りに移転して営業を終了しています。
そしてに岡山城跡。
現在の天守閣は空襲で焼失したものを1966年に復元しています。
なので地図の頃は天守台の上に何もなく、代わりに空襲の難を逃れた月見櫓が紹介されています。
左上に行くと池田邸とミシガン大学があります。
ミシガン大学は正確には日本研究所岡山分室で、日本文化の研究のために設置されていました。
そして二者の下の辺りに県庁。
当時の県庁は現在の岡山工業高校の場所にあり、今の県庁の場所には公会堂があります。
鉄道は現在のJRの他に西大寺鉄道、そして臨港鉄道があります。
時代の流れとともに色々と変わっていますね。