1951年~1952年(昭和26〜27年)頃の岡山市街地を描いた、興味深い観光地図を見つけました。
冊子に発行年の明記はありませんでしたが、地図上の「原尾島競馬場(1952年営業終了)」と、当時着工したばかりの「児島湾締切堤防」が同時に描かれていることから、このわずか2年間の姿を捉えたものと推測されます。
この地図には、今の岡山からは想像もつかない風景が記録されています。
■ 姿を消した競馬場と「空っぽ」の岡山城
まず目を引くのは、現在の旭川東岸・原尾島にあった競馬場です。後に三蟠(さんばん)へ移転し、やがてその歴史を閉じました。 また、岡山城跡にも注目です。現在の天守閣は1966年に再建されたもの。当時は空襲で焼失した後のため天守台は空で、戦災を免れた「月見櫓」が城跡のシンボルとして紹介されています。
■ ミシガン大学と県庁の変遷
北西に目を向けると、旧池田邸(現在の後楽園北側付近)と共に「ミシガン大学」の文字が見えます。これは当時設置されていた日本研究所岡山分室で、学術的な日米交流の拠点でした。 さらに、現在の岡山工業高校の場所に「県庁」があり、現在の県庁所在地には「公会堂」が建っているなど、行政の中心地も今とは大きく異なります。
■ 網の目のように走る鉄道網
交通網では、現在のJR(当時は国鉄)に加え、西大寺鉄道や岡山臨港鉄道が走り、街の活気を支えていたことが分かります。
一枚の地図から浮かび上がる、時代のうねり。現在の風景と見比べながら歩けば、いつもの街角が違った表情を見せてくれそうです。


