総社市の秦小学校の近くに立派な地神がありました。

隣にあるのは疫神です。
どちらも別に珍しいものではありませんが、これだけ大きいのはなかなか見られません。
地神は概ね集落への入り口などに見られ、悪いものが入ってこないようにする守り神のような役割を果たしていたようです。
同時に農耕の神としても崇められるなど、小さな集落における鎮守の神様のような立ち位置にあったようです。

隣の疫神は地神と比べると見かける頻度は低いですね。
疫神は名前の通り疫病の神様です。疫病を抑える神ではなく、広める方なので人間にとっては「悪神」です。しかしそれを祀る事で、疫病を流行らせないようにしてもらう事に繋がります。神様の祀り方、祀る理由も様々ですね。

地神の石碑については瀬戸内海沿岸側は特に多いと聞いた事があります。私自身がその沿岸の人間なので県外での様子はよく分かりませんが、津山事件で知られる貝尾地区の入り口にも地神の石碑があります。そして同地区を散策しに訪れた人が、その石碑と事件の関連を訝しむような事を書いているのをみて、地域によっては地神になじみがない人も多いのかな?と思いました。
貝尾を訪れる人、地神と事件は関係ありませんよ(笑)

この場所には立派な石灯籠もありました。
この地神はかなり厚い信仰を集めていたのでしょう。灯籠まで一緒にある地神というのは、ほとんど見た事がありません。
疫神もあることから、もしかすると秦地区で疫病の深刻な感染があり、大々的に祀り祈願した…、そんな歴史があるのかもしれませんね。また資料などで詳細が分かればブログで紹介します。




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