久米南町上籾の民家に綺麗な状態のマルフクの看板が残されていました。
文字の部分が薄れている者の、会社名の方は鮮やかな赤が残されています。
家の横に木があるので日陰を作って日焼けを軽減させいたのでしょう。これから徐々に退色は進むのでしょうが、もしかすると建物の状態次第では22世紀くらいまで生き残るかも…!?
上籾と言えば久米南町の山間部に広がる地区です。このような場所にマルフクの看板があるのかと思った人もいるのではないでしょうか。
マルフクの看板は人通りの多い場所に設置される事が多いです。その調査力は侮れず、抜け道に使われる道なども良く調べてあります。キリスト看板もマルフクの看板が設置されている場所を参考にしていたという話もあるそうです。
ではどうして上籾に看板を設置したのでしょう。
答えはこれです。
看板が設置してある場所は津山鉱山へと続く道だったのです。
今回のマルフクは鉱山に勤める人や出入りする業者向けに設置されていたのでしょう。
このようにかつての人の流れを把握する上でマルフクの看板は非常に役立ちます。皆さんもチェックしてみて下さいね。