浅口市金光町で金光教本部の敷地内を散策していると、なにやら看板のある墓地がありました
こちら。
この辺りは金光教の教祖夫人の父親、そして教祖の先祖墓、縁の深い大橋家、川手家、古川家の墓が並んでいます。
この中で注目したいのがこちら。
奥の方にある天然石の墓です。
これは川手文治郎の墓です。
金光教に詳しい人なら教祖・金光大神の昔の名前ではないかと気付いたことでしょう。
金光大神は香取家に生まれ、後に川手家へ養子に出されます。この時に改名したのが川手文治郎です。
実は「川手文治郎」という名前は、金光大神の曽祖父の名前でした。
つまりこの墓はその名前を譲ってもらった曽祖父の墓なのです。
金光大神は1831年に藩主の幼名と重複する事を理由に国太郎に改めますが、1844年には再び元の名前に近い文治に改めています。気に入っていた名前だったのでしょうね。