久し振りに高梁市の頼久寺へ参拝してきました。
ずいぶんと久しぶりです。

頼久寺は歴史のある寺院ですが、その起源については詳しく伝わっていません。
確認できる歴史は1339年に足利尊氏が再興して備中国の安国寺として以降の事です。

もちろんそれだけでも充分すぎる歴史です。

永正年間に入り、備中松山城の城主・上野頼久が檀越となります。
上野頼久の死後に安国頼久寺と改められました。
一般的には頼久寺と呼びます。

非常に大きな本堂です。
建物の裏に広がる墓地には上野頼久、三村家親、三村元親、勝法師丸の墓があります。

…と書いたものの、よく判らなかったので写真は撮っていません。
お参りしたい方は事前にネットでチェックしてから行った方が良いでしょう。

ここまでが無料で見られる場所。
頼久寺と言えば小堀遠州が築いたと伝えられる美しい庭園が知られています。

小堀遠州が備中松山城の城主だった時期に作られとされています。
当時の城は荒廃していた為、頼久寺を住まいとしていたそうです。

海と島を再現した枯山水です。
この場所に立つと庭園についての歴史などのアナウンスが流れます。

それを聴きながらぼんやりと庭を眺めるのは、なんと贅沢な時間でしょう。

庭園の端にあるこちらの灯籠。

この灯籠は安国寺として再建された時期の物らしく、1339年である暦応2年が記されています。

庭園の他に建物の中を見る事も出来ます。
しかも私が写真を撮っている通り、写真可です。

建物の内部の写真はまた明日の記事にします。




こちらもお勧め  【玉野市】石鉄神社跡地を見てきたよ!