トップ > コラム・岡山空襲を学ぶ-復興編4

市街地の風景(2005年撮影分)

『商業の復興』

 商業施設の復旧

 別の項目でも紹介していますが、戦後直後の日本は配給と闇市で人々は日々の生活を送っていましたが、一方で商業施設も徐々に復旧し始めていました。
 その先陣を切るような形で、いち早く復旧したのが、『天満屋』でした。
 昭和20年10月10日、まだダメージの残る建物の1階部分から営業を再開しました。
 同年の11月18日には『金馬』という映画館が再開し、まだ生活が苦しいであろう時期でありながら、沢山の来館者があったと伝えられています。
 年が明ける頃には周辺の商店街も徐々に再開されています。

 昭和21年の9月には戦時中には途絶えていたネオンが再び点灯したというニュースもあり、ゆっくりと、人々は普段の暮らしを取り戻していったのでした。


 商業の様子

 復興途中の岡山市で復旧した商店で人気だったのは、飲食のお店でした。
 しかし食糧難の時代なので、現在の飲食店のように食べたいものが食べられるというわけにはいきませんでした。
 そこで『代用食』と呼ばれる、本来出していた料理に似せて作ったという、アイディア料理がお店ごとに開発されて、客に出されていたそうです。
 
 まず最初に立ち直ったのは、生活に密着した必需品などを扱う商店でした。
 前の項目で映画館の再開について紹介をしていますが、基本的に娯楽のジャンルの復興は遅れており、戦後の人々が生きていくだけでも大変な時代だった事が伺えます。

 意外な施設では、ダンスホールが終戦直後から整備されています。
 これは岡山に来る進駐軍の為に整備されたものでした。


<<前の記事 TOPへ戻る 

写真:『戦後まもなくの天満屋岡山店』
写真提供:どてら親父の隠居部屋


目 次



ページのトップへ戻る