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甚九郎稲荷

『岡山空襲とは?2』

 なぜ岡山市は空襲を受けたのでしょう?

 当時の岡山市の人口は16万4千人で、都市の規模を見ても、また軍事的な施設等の面から見てもさほど重要な都市だったとは言いがたいのです。
 また岡山空襲において、軍の施設等は余り被害を受けていないという記録もあります。

岡山空襲の目標情報

 アメリカ軍が作戦へ参加する人へ渡す『Target Infomation Sheet(目標情報票)』というものがあります。
 攻撃を加える都市の情報を幾つかの項目に分けて掲載したものですが、その末尾に以下のような文章が掲載されています。
A raid on Okayama should serve as an additional notice to the Japanese people that they will not go unnoticed or unharmed, even in the smaller urban industrial areas, if their city is at all important in the prosecution of the war. If the future looks grey to the people of other small cities, this might add the tint which makes it black.

(岡山市への空襲は、たとえより小さい都市でも、その都市が戦争遂行上少しでも重要な働きを果たすものならば、見逃されるとか無傷でいることはできないという、更なる警告となるべきものであらねばならない。
もしもほかの小都市の住民が、自分たちの未来は灰色だと思っているのなら、この空襲はそれを真っ黒にするであろう。)
(参考文献:『米軍資料で語る岡山大空襲』日笠俊男)

岡山空襲の目的

 1945年の6月の戦況を見ると、長く続いた沖縄戦も牛島司令官の自決という形で敗北の色を強めており、首都の東京も度重なる空襲により疲弊していました。
 そのような状況でも降伏をしない日本へ対し、降伏しないのであれば都市の規模によらず、徹底的に攻撃を続けていく…。
 岡山市への空襲には、そうした強い警告が込められていたのです。

 抵抗をするなら、岡山市のような都市でも攻撃するし、それでもまだ諦めないならもっと小さな都市も攻撃する。

 ただ『岡山市』を物理的に攻撃するのではなく、精神的な攻撃によって日本から抵抗する気力を奪おうとしたのです。



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写真『上之町を火災から守るとして信仰された甚九郎稲荷』
撮影:岡山の街角から


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