真庭市北房町を散策していると、市指定の史跡として菊池家墓所がありました。
…菊池さん? 誰だっけと思いつつ近付いてみると、大きな案内板がありました。
菊池文理、そして秋坪という名前が出てきます。
そう、これは箕作秋坪らを輩出した菊池家の墓所です。
秋坪は日本史における重要な文書の数々を翻訳した事で知られる箕作阮甫の養子です。阮甫の娘と結婚し箕作姓を継ぐために養子になりました。最初の結婚は早くに妻に先立たれており、後にもう一人の娘で義理の妹に当たる女性と再婚しています。
幕末には外交官として活躍。新政府には仕えずに私塾(三叉学舎)を開いて後継者の育成に努めました。
菊池文理はその実父です。
秋坪が13歳の頃に若くして亡くなりましたが、教育者として親しまれていました。そんな人柄があってか、残された秋坪らは地域の人々の助けを得ながら生活していく事が出来たそうです。
ただ看板に真っ先に名前が出ていますが、秋坪の父という以上の知名度があるわけではありません。
この墓所は文理とその父、秋坪から見ると祖父の墓です。
秋坪は東京に出ていたので、墓所は東京都台東区にあります。菊池家は文理の世代で引っ越してきたので、先祖代々のお墓ではありません。
文理の父は慎という人物である事が伝わっていますが、この人も早世しており、どのような人物だったのかを知る事や、伝わるような業績は見つかりませんでした。
それゆえかこの場所に人が訪れたような気配は余り見られません。二人とも秋坪の身内というのがキャリアハイといった人物です。
ちょっとインパクトが弱い感じは否めません。しかしそういう場所でも文化財として保護できるからこそ、市町村指定の文化財というのは重要なのだとも思います。