津山事件を報じる新聞記事を読んでいて、興味深い内容を見つけたので紹介します。
津山事件の終焉の地として、犯人の都井睦雄が自害した荒坂峠があります。実はこの地は事件から約70年前の1866年に、美作改正一揆の始まりの地となりました。

徳川幕府が倒れる前年です。世情は混乱に陥り、人々は将来への不安に駆られていました。更にこの年は大飢饉に見舞われていました。
そこで起きたのが改正一揆です。これは美作以外でも各地で勃発しており、藩政に対して意見する為の活動でした。
この一揆の首謀者の一人が仁木直吉郎で、津山事件の起きた加茂町行重出身者です。

荒坂峠で旗揚げされた一揆は賛同者で膨れ上がりました。津山藩はこれを制圧する事が出来ず、要求の幾つかに応じる事と救済米を出す事で事態を収束させるのが精いっぱいでした。
一揆で要望が受け入れられても首謀者は命を落とすのが通例ですが、仁木らは投獄こそされたものの処罰される事は無く、明治政府が立ち上がった後に釈放されています。その後の仁木の人生については不明ですが、加茂町では英雄的な扱いを受けていたのではないでしょうか。

睦雄が最期の地に荒坂峠を選んだのは、もしかすると美作改正一揆と関係していたのかもしれませんね。




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