つい先日ですが、岡山県で発生した津山事件に関して被害者の名前が実名でない事を記事にしました。
個人的に不思議だったのは、仮名にしている事自体ではなく、現代のメディアや個人ブログなども含めて全てが同じ仮名を用いている事です。
名前を伏せるのではなく、共通した仮名。何か後ろで情報を統率するような力が働いているのかと、陰謀論のようなことまで考えてしまいます。
実はこの件について、ちょっとした情報を見つけました。
ヤフー知恵袋の質問を盗用します。
どういう事情か不明ですが、津山事件の被害者の実名を探している書き込みがありました。
その返答の中にネット上の記事を紹介した物がありましたが、それに対する質問者の返答が「補足」の部分です。引用してみましょう。
回答ありがとうございます♪
このサイトに書いてある名前は犯人以外仮名なんですよ(・ω・`)
筑波昭著の津山三十人殺しに書いてある名前と同じなんです( ┰_┰)(引用:Yaho知恵袋)
おおお、これは。
もしやこれが答えなのではないだでしょうか。ちなみに回答者が貼っていたリンクは既にリンク切れでした。
補足の内容から察するに、よく見られる仮名を用いていたサイトなのでしょう。
この筑波 昭の「津山三十人殺し」は私も持っている本です。
この本は読んでいてフィクションの匂いがしたので、読みかけのまま本棚の奥に埋もれていました。
後に矛盾点や著者自身へのインタビューから、作者の想像による部分が少なからず混ざっているのではないかとの指摘がなされ、昨今では余り資料として高い評価を受けていません。
しかし1981年の発売からネットが普及する時代まで、津山事件における最も詳細な資料としての評価を受けていました。
実はこの本の冒頭で必要に応じて仮名を用いる事が明記されています。ただし余り目立たない場所にあり、更に誰に仮名を用いるのかには触れられていません。
なので後に出た様々な媒体が、仮名を用いている事に気付かず、この本の中にある名前をそのまま引用してしまったという事は充分にあり得ます。
私が矛盾に気付いたのは津山事件報告書と、現地での墓石にある名前からです。前者は近年まで入手しづらい状態だったので仕方ありませんが、後者に関しては多くの人が現地に赴くことなく津山事件にふれていたという事なのでしょう。
余談ですが私が「津山三十人殺し」を読まなくなった理由は、私的な会話の描写が多かったからです。
インタビューの中で多少は会話に関する情報もあるでしょうが、この本はやたらに多い。会話主の都井睦雄は事件後に死んだ為にもちろん語れませんし、インタビューを受けた人が逐一細かく覚えている事は考えづらく、そこには著者の想像や肉付けが少なからず加えられている事になります。これはこの本に限らず、私は資料として読む時はそういう内容は避けています。
後にこの本が上記のような事情から評価が高くなっている事を知った時は、妙に納得したものでした。