美咲町の柵原鉱山資料館を見学した後、少し時間があったので少し周辺を散策していました。
すると下の写真のような建物が何棟か見えてきました。

やや古い時代のアパートといった趣の建物で、外から見て余り人の気配は感じられません。
しかし全く住んでいないわけではないようで、見ているとちょうど建物から住民と思しき女性が出てきました。

そこでこの建物について話をふると、かつて柵原鉱山で働く人々の社宅として運用されていた事を教えてくれました。
住民は閉山になった後に徐々に離れていったようです。

今も住み続けている事について聞いてみたかったのですが、失礼になってはよくないと思い控えました。
恐らく柵原鉱山を操業していた同和鉱業と個別の賃貸借契約を交わすなどしているのでしょう。

閑話休題。

人が住んでいないエリアは倉庫のように使われているようです。
刈払機が置いてあるので、使う代わりに手入れや管理を担っているような感じでしょうか。

建物は昔ながらの集合住宅です。

柵原での暮らしの思い出を綴っている「鶴見陶苑」の盆栽日記様の記事によると、昭和30年代くらいの建物のようです。
ところで一部に窓が割れている部屋があり、人の住んでいない部屋だとも教えてもらえたので中を撮影してみました。

わりと広いです。
襖だけで仕切るので、家族は常に一緒の空間にいるような暮らしだったのでしょう。
先に紹介したブログによると、役職者用のいい部屋もあったそうです。

傷みが激しいので恐らく今でも住み続けている方が出られたら後は壊すのか、自然に任せるのか…といった形になるのでしょう。

で、写真を加工していて妙なものに気付きました。

…おや?

!!

何なんでしょうね、この汚れは…。




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