菅源太郎氏と岡山

ニュースを見ていると元総理大臣の菅 直人さんの長男が東京都武蔵野市議補選へ出馬するという事で批判を集めていました。
菅 直人さんや、彼が率いてきた民主党(※現在の所属は立件民主党)は世襲議員への批判を強く行ってきました。それが党の中でもトップの位置にある人物の長男が出馬なので、一般的な世襲議員よりも批判を集めるのは仕方ないところもあります。

ところで菅源太郎さんの経歴を見ると、現在は菅 直人氏の政策秘書、それ以前では民主党に近しい関係のシンクタンクへの勤務などが挙げられます。
しかし政治家へのチャレンジは今回が初めてではなく、2003年と2005年に岡山一区から衆議院議員を目指して出馬したことがあります。
なぜ岡山県から出馬したのか?というのは、当時の岡山県でも話題になりました。全く縁もゆかりもない人物…というのがほとんどの人にとっての印象でした。
実は菅源太郎さんの本籍地は岡山県岡山市北区建部町にあります。これは菅直人氏も同様で、そもそも菅家は岡山ゆかりの家系です。ただし居住については (直人氏の父、源太郎氏の祖父の)寿雄氏までで、直人氏は山口県~東京都、源太郎氏は東京都出身で、岡山に強い結びつきがあるわけではありません。強いて言えば直人氏の奥様(源太郎氏の母)は浅口市出身ですが、決して著名人ではありません。

なので世襲への反対というよりは、地元での「なんで菅直人の息子が岡山で選挙に出てるの?」という疑問を払拭できずに落選したという印象です。一区には逢沢一郎氏という強力な立候補者がいるので、そもそも地元での知名度が低い新人候補者には難関だったと言わざるを得ません。
いくら有名な政治家の息子とはいえ、県にゆかりのない人物を通さなかった岡山県民は良い判断をしたと思います。
ちなみに国会議員には出馬する選挙区への住所登録の要件はなく、別に本籍地が無い場所でも立候補は可能です。

2度落選すると次から公認が出なくなるという民主党のルールの為、その後は政治家への道を断念したと聞いていましたが…。

武蔵野市の補選と、今と当時の言い分

今回の出馬は武蔵野市の市議の補選です。
菅直人さんは国会議員であり、その地盤については 前武蔵野市長の松下玲子氏に譲る事が決まっています。
なので厳密には世襲ではないという立場から、今回の市議選への出馬は問題ないとされました。それについて議論が起こっているというのが今のニュースの話題ですが、私のブログでそれをどうこう言う事はしません。

ここは岡山県の話題のブログなので、当時の国政選挙の際はどのように説明していたのか?について触れましょう。
まず世襲ではないとしたのは今回も当時も同じです。
そして当時は菅直人氏自身がまだ現役の国会議員であり、地盤を譲るわけではないので世襲ではないという立場を取っていました。…現役かどうかの違いはあるものの、当時も今も同じ言い訳で世襲ではないと主張していますね(笑)
また立候補者を探していた際に「 (候補者に相応しい)優れた人間がたまたま息子だった」という、親バカ精神にあふれるほほえましいコメントを残しています。

goo辞書で世襲議員について調べると、下記のような説明が出てきます。

  1. 親や親族が議員で、その政治地盤や資本などを受け継いで議員となった人。二世議員など。

  1. 政治地盤や政党を引き受ける議員。前任者の政治地盤を引き継ぐ「地盤型」や、政党の中で後継者と判断される「組織型」などがある。

この説明からすると、1の定義では世襲ではないという意見は通りそうです。
2については市議とは言え民主党の公認が出ている事からすると、組織型の世襲議員に当てはまるような気もしないではありませんが…、一般的に用いられている世襲議員という言葉は前者の方でしょうし、そこに親の知名度まで加えてしまうと、寧ろ親が議員をしていると議員を目指すことが出来なくなるという不自由が生まれてしまいます。
なので個人的には今回の出馬まで世襲と批判するのは、行き過ぎではないかと考えます。

以前、源太郎氏の当選を拒んだ岡山県民としては、今回の報道を受けた武蔵野市民がどのような判断をするのか楽しみにしています。




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