岡山市北区足守の田上寺にある新選組の安富才助の墓地へ行ってきました。
安富才助は新選組の中では余りメジャーな隊士とは言えず、wikipediaを見てもその活躍に関しては勘定方や馬術師範といった職務が綴られるばかりです。
恐らく一番知られているエピソードは土方歳三の最期を看取り、土方家へそれを伝える為の手紙をしたためた事でしょう。
この中に書かれている『早き瀬に 力足らぬか 下り鮎』は安富才助が土方歳三への追悼の句として詠んだものですが、その内容から土方歳三の辞世の句だったのではないかとも考えられています。
ではまず田上寺です。
お寺自体は小さなお堂が一つあるのみの小さなものです。
墓地の管理のために法人格が残されているくらいなのかなと思いました。
しかし広い土地と、六地蔵などから往年の隆盛を感じられます。
お堂の手前に墓の位置についての案内看板があります。
新選組の模様になっていてオシャレです。
安富才助は従来は新政府軍に降伏後、1870年に釈放されるも阿部十郎に殺害されたと伝えられていました。
しかしお墓が発見され、釈放後は故郷へ戻り兄の元で謹慎生活を送った事が判明しました。
その後、34歳の若さでお亡くなりになられています。
亡くなられてから100年以上もお墓が発見されなかったことを不思議に思う方もいるかも知れませんが、安富才助の墓の周辺は上の写真のように墓石が密集しています。
古い墓地によくあるように、放置された墓石が土砂が崩れないように使用されていたりと、なかなか立ち入りづらい場所です。
このような場所なので、その存在は長らく知られずにいたようです。
こちらが安富才助とその妻の墓石です。
妻は安富才助が新選組へ加わる少し前に早世しています。
横から見ると安富才助夫婦之墓と書いてあります。
激動の時代を生きて、晩年は失意に苛まされた部分もあるのかもしれません。
しかしこうして夫婦で同じ墓に入っていられるのですから、案外ご本人は満足の人生だったのかもしれませんね。
お墓のそばにある案内看板です。
解説文を書いたのは岡山新選組の方です。