岡山市の備中高松城址へ行ってきました。

備中高松城とは

岡山市北区高松にあった沼城で、豊臣秀吉の水攻めで有名なお城です。
備中高松城は水堀や沼に周囲を囲まれた沼城で、数で勝る豊臣秀吉の軍勢が周囲を取り囲むもなかなか落とせずにいました。
そこで編み出されたのが水攻めです。

そこで秀吉は城の周囲に堤防を築き、川の水を注ぎ込むことで城を事実上の陸の孤島としたのです。
この戦法を思いついたのは、大河ドラマでも有名な黒田官兵衛ではないかとする説もあります。

清水宗治・切腹へ

水攻めが行われている頃に発生したのが、天下を揺るがす大事件・本能寺の変です。
織田信長が明智光秀に討たれた事を知った豊臣秀吉は高松城を早く落とさねばならなくなります。
そこで和睦条件を引き下げました。
その条件の中に高松城主・清水宗治の切腹が含まれていました。

宗治の切腹の代わりに城の兵士の命は保障する。
清水宗治はこれを受諾し、切腹することになります。

尚、それを見届けた秀吉が明智光秀撃退の為に急いで引き返す事を中国大返しと呼びます。

清水宗治と名誉の切腹

(写真は高松城址公園資料館の木造)

秀吉は清水宗治の切腹を見届けていますが、その作法はとても立派なものだったと伝えられています。
和平交渉の場でも毛利家は宗治の切腹は了承しかねていたとされるほどの人物で、秀吉自身も宗治は武士の鑑であると後に高い評価を口にしていたそうです。

そして宗治の切腹以降、武士の間では切腹は名誉のある死に方だと考えられるようになったのだとか。
切腹の意味までも変えてしまった清水宗治、まさに武士の鑑ですね!


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