玉野市が少し前から掲げている、宇野港 連絡船の町プロジェクト。
瀬戸大橋開通に伴って廃止になった連絡船の写真などを街角などに展示する試みが行われています。
昨年、廃止になった玉野市文化会館・バウハウスの展示を見てきたので、写真をご紹介します。
壁面やテーブルなどに連絡船の写真が掲示されています。
懐かしい連絡船時代の風景です。
連絡船は正確には鉄道連絡船と言い、瀬戸大橋が出来る以前に岡山と香川を結んでいた電車路線を補完する為の船でした。
しかし瀬戸大橋が完成し、橋に鉄道が通る事になったので連絡船は廃止されました。
玉野市は四国への玄関口として栄えてきました。
しかしその四国への玄関口としての役割は連絡船の廃止、そして瀬戸大橋の料金改定に伴うフェリー利用の減少でどんどんと低下していきました。
連絡船廃止後も残されていた宇高航路のフェリー会社も廃業、休止が続き、現在では減便されたフェリーが僅かに運航しているのみです。
玉野市の未来はフェリー以外で切り開いていかないといけないのでしょうが、こうして町を賑やかせた歴史を展示するのは、とても素敵な試みだと思いました。