2022年1月1日です。あけましておめでとうございます。
今年もサイト、ブログ共に更新を続けていきますのでよろしくお願いいたします。
さて元日という事で少し華やかな写真を出してみようと思います。
津山市の市街地で見つけた名護屋山三郎と出雲阿国の顔ハメ看板です。
名護屋山三郎は森家の家臣です。
漢字は名古屋の表記の方が多いので、そちらの方が判り易いかも知れません。
そして出雲阿国は言わずと知れた歌舞伎の始祖です。
2人を夫婦とする説もあり、歌舞伎の成立に名護屋山三郎も関わってする見方もあるようです。
津山市にこの看板があるのは津山の月の関係からでしょう。
日本舞踏の演目です。
京の都で出会った二人は恋仲に落ちますが、名護屋山三郎は津山藩の森家に仕官する為に京を離れる事になりました。
後に二人が津山で再開した様子を描いたのが津山の月です。
名護屋山三郎は1603年に主の森 忠政から院庄への築城計画で意見の合わない井戸宇右衛門の殺害を命じられます。そして実行しようとするも返り討ちに遭い死亡しました。
出雲阿国はそれから数年後の1607年に江戸で歌舞伎を上演した後の消息は不明です。
一説には出雲に戻って尼として過ごしたともいわれています。もしかすると名護屋山三郎の喪に服して余生を過ごしたのかもしれませんね。