エジプトコレクションの展示室

僕は行く先々で立ち寄った場所をブログやSNSで紹介していますが、その中で割合が多いのが美術館です。

倉敷の大原美術館、高梁市の成羽美術館といった大きなところから、上の写真のやかげ郷土美術館のような地元の名士やアマチュアの方の作品を中心とした美術館まで良く立ち寄ります。

絵を見る事自体は昔から好きなのですが、深く見るようになったのはサイトの収益で生活するようになってからです。

芸術家はフリーでやっていく我々と似ているなと思います。
どちらも自営業のような立ち位置なのはそうですが、自分の感覚…センスとの孤独な闘いです。

今は幸いにも色々と試してみたコンテンツが良い形でヒットしていて、ここ数年で始めたデートスポット怪談岡山を舞台にした歌を紹介するコンテンツ…等々、今ではサイトのアクセスの重要な部分を占めるようになりました。

しかし僕も年を取って、やがてセンスがずれていくかもしれません。

児島虎次郎・家族

芸術作品を見ていると、それをヒシヒシと感じます。
記事を作る為の取材活動も、資料の調査も、そして記事自体を書く事も、とても充足感のある作業です。

しかしそれが世間に通じなくなったら…?
ゴッホのように死後に評価されるというのも良いでしょう。
お金の事なんて考えずに一心不乱に岡山の歴史を記していく作業に没頭できれば、なんて美しい話でしょう。

しかし下世話な話として、生活費は稼がないといけない。
取材に行く為の旅費が、パソコンなどの環境が、インターネットが、資料を買うお金が…。
よく頑張った」だけでは、サイトを作る事さえままならなくなります。

やっぱりそれは芸術家の人たちにもあったのだろうし、作品の中にはそんな自己の理想と、現実との葛藤もあったはずです。
一流の芸術家と自分を並べて考えるのはおこがましいですが、それでも感じるのです。

そんな事を考えながら見ている内に、芸術は遠い物ではなくて、仕事の仲間の成果物を見るような身近な存在に感じられるようになりました。
だから美術館が好きです。そこには切磋琢磨した同胞の努力の結晶が詰まっているのですから。




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