倉敷市の由加山の琴浦北小学校の敷地内に由加山の鬼の伝説にまつわる地があります。
鬼伝説は由加山周辺で悪さをしていた鬼を退治する為に、都から征夷大将軍の坂上田村麻呂が派遣され、色々あって退治したという物です。
このエピソードで最も有名なのは岡山市~玉野市の金甲山でしょう。坂上田村麻呂が戦勝の祈願で金の鎧を埋めたと言われており、鎧=甲で、金甲山の名前がついたという伝承があります。
さて話を戻して琴浦北小学校にあるゆかりの地をご紹介します。
こちら、ちごの池というものです
こちらです。鬼が稚子(幼い子供)に化け、その姿をこの池に移して確認していたと言われています。
実は琴浦北小学校は令和3年度で休校になっています。
周辺の住宅事情を考えると再開の見込みは少ないでしょう。今後どのように校地が活用されるのか、それとも眠らせ続ける事になるのかは現時点では分かりません。
尚、元から解放はされていらず、フェンス越しに見られるようなっています。看板もフェンスの外側に設置されていたので、見る分に困るような状況があるわけではありません。
今後の管理がどのようになるのかも気になります。
実際の看板がこちらです。
現在よく言われている由加山の鬼の伝説とは少し異なる内容が記載されているのが興味深いです。
まず悪さをしていた鬼が最初に出ていたのは京の都であり、それが吉備の児島(現在の児島半島)に流されて、それでも悪さを続けていた…という物です。
由加山は押し付けられた立場だったのですね。それでも反省しないから退治する事になった…と。
その退治を請け負ったのも坂上田村麻呂ではなく高僧とあります。
最後の一文の「鬼に化けた稚児がその姿を水鏡に…」という部分は、恐らく逆ではないかと思います。鬼が稚児に化けて悪さをしていたのでしょう。
余談ですがこの小学校はかつて有名だった倉敷市の心霊スポットのお札の家のすぐ近くで、今のようにGoogleマップのような地図サービスが無かった時代はよく「琴浦北小学校(K小学校とも)を過ぎてすぐのところを左」なんて説明に用いられていました。もしかするとそれで名前を目にしたことがある!という人もおられるかも知れませんね。
関連リンク:お札の家