参議院選がいよいよ近づいてきて、ニュースの話題に挙げられることも増えてきました。
今回、岡山県では盤石の再選と見られていたのは現職の小野田紀美さんでしたが、公明党が推薦をせず自主投票に。
その票の流れ方によっては黒田 晋 元玉野市長にもワンチャンあるのではないか!?という見方も出てきたようです。
ということで、玉野市民からみた玉野市長時代の黒田さんの業績を考えてみましょう。
wikipediaでは下記のように紹介されています。
4期について
一番最初の任期については今回の選挙には関係なさそうです。
市議時代に市長の任期を3期までとする条例案を提案(否決)するも、自身が4期も努めたというエピソードです。
これにはさすがに批判的な意見もあり、年齢的にはまだ若いながらも5期目には挑戦しなかったのは市民感情を考慮してのものだったのでしょう。
50億円を貯金
就任時にゼロに近かった基金(市の貯金)を50億円にまで引き上げました。
これだけをピックアップするとやり手の市長のように見えますが、この50億円の基金には2つの側面があります。
まずは良い方から。
玉野市は瀬戸大橋の完成によって四国への玄関口という交通の要衝のポジションを失いました。
それを補う為に目をつけたのが観光です。かつての市のキャッチコピーは海洋観光都市でした。
しかし名物になるような景勝地があるわけでもない玉野は、新たな客寄せの手段として箱物行政に走ります。
その中には着手も出来ずに駅前の土地を眠らせ続けたスペイン村計画や、建物が出来上がったのに内装を仕上げることが出来ずに放置された王子アルカディアリゾートのような大きな失敗も含まれます。
(関連リンク:玉野スペイン村計画、王子アルカディアリゾート)
そんな中で黒田さんは箱物行政から転換し、市内にある施設を使う方針を取りました。
市民サービスの見直しなども行いながら貯蓄できるように進めていきました。
また市営の競輪場の運営をチャリロトに委託することで、競輪の業績が傾いたとしても一定金額以上の収入が市に入るように契約。収入の安定化に繋がりました。
続いてはあまり良くない点も解説します。
現在、玉野市は給食センターと市民病院の新築が進められています。
更に今後は市役所庁舎も耐震強度などの問題から建て替えが必要です。
また少し前には市民会館が老朽化を原因に廃止され、こちらは建て替えの計画すらなく、当面は岡山市南区の施設を借りるなどしなければなりません。
要するに50億円の貯金はしたものの、それは単に4期の内に大きな出費を伴う事業を行わなかっただけという見方も出来ます。
自らの過去の発言から5期目は難しいと判断し、自分の任期中に大きな出費をしないようにすることで次のステップに繋げるために作られた業績という見方も出来なくはないでしょう。
玉野医療センター
玉野市の市民病院と、三井E&S造船が運営する企業立病院の玉野三井病院を統合することで玉野医療センターとしました。
新市民病院はこの2つの病院が一つになって運営されます。
病院を統合することでスケールメリットを高めるというのが当初の目的です。
しかし三井E&S造船の弱体化の現状を考えると、三井病院が撤退になる前に人を確保できたという点も大きいですね。これはたまたまそうなっただけだとは思いますが。
KEIRIN HOTEL10
前述の玉野市の競輪場に併設されたホテルです。
玉野は駅前の宿泊施設が弱いので、多少距離はあるものの市街地で宿泊する場所がようやく完成しました。
今までは土木工事などで訪れる日雇い労働者向けの宿泊施設がある程度で、カジュアルなホテルとなると、渋川のマリンホテルまで行かなければなりませんでした。
ただしKEIRIN HOTEL10に関してはチャリロトがやっている事です。黒田さんの時代に行われたという点や、そもそもチャリロトへの業務委託を進めたのが黒田さんであるという点は評価されますが、ホテルが出来た事全体を業績とはいえません。
消防署再編
消防署は大幅に配置換えがされました。
これは時期的にはちょっと遅すぎるくらいです。
玉野市はかつて灘崎町にも消防車などを派遣していましたが、灘崎町が岡山市に編入した際にその委託が終了しました。
なので2005年から見直すべき事ではあったのです。
もちろん当時の玉野市に動き出すためのお金がなかったのも事実です。
…という事で、wikipedia掲載分について、思ったことなどを書いてみました。
個人的には箱物行政からの脱却など、黒田さんについては高く評価している方だと思います。しかし市内では有効な手立てを打たずに市を衰退させた主犯のような見方も少なくありません。
「しなかった」事を評価するのかどうか、そこが玉野市長としての黒田さんの評価の分かれ目だと思います。