少し古い話ですが、非常に印象的な出来事だったのでブログにしてみようと思います。
もう10年以上も前に私が当時住んでいたコーポの隣の住民の話しです。
シングルマザーのお母さんが出て行った家庭
シングルマザーで子供が3人。上の子が最終的に中学生、下の子は小学校に入学したばかりでした。
お母さんはちょっと派手めの方で、愛想は良いんですよね。実際によくモテるらしく、コーポに複数の男性が出入りしていました。
で、ある時期を境にそのお母さんを見かける機会はどんどん減っていきました。後から聞いた話だと、良い相手が出来て、そちらに入り浸っていたのです。
ここまでだとネグレクトの案件ですが、お金には余裕があったようで家を留守にする代わりに日用品の買い物や食事に困らないようにしていたそうです。
確かに私もこの時期にコンビニやほか弁の袋を持った上のお姉さんをよく見かけていました。
しかしまだ自立するには早すぎる年齢の子供たちです。徐々に異変が起こってきます。
変化① ゴミ問題
第一の変化というか、兆候というか…は、ゴミでした。
きちんと親から教わっていなかった子供たちは上手くゴミの分別が出来ておらず、可燃ごみにペットボトルが入っていたり…と、ルール違反が目立ちました。
ただこの時点では私も含む他の住民は、子供たちが置かれている境遇には気付いていませんでした。
コーポの連絡網でゴミのマナーが良くないと書かれており、今後はルール違反のごみは一切持ち帰らないようになるとの通達がありましたが、若い世代の多いコーポだったので、不真面目なやつがいるんだな…くらいで終わっていました。
しかしこのゴミの問題は後に子供たちの生活にとって大きな問題になっていきます。
変化② 悪臭
ゴミを出すと怒られると思った子供たちは、出さずに玄関前に置くようになっていました。
最初の頃は気にした親戚らしい人たちが家に顔を出しては、分別を手伝ったりしていたようですが、後に訪問頻度が低下してゴミがたまり始めます。
すると臭いが出てくるので、当然クレームが出てきます。不動産屋を通したり、直接に伝えた人もいるようです。
ここで子供たちは誤った選択を取ります。
ゴミを家の中で溜めるようになってしまったのです。
この時点でもまだ周囲は状況を把握しきれておらず、「〇〇さんはごみのマナーが悪いな」くらいにしか思っていませんでした。ごみが家の中に戻された事で、悪臭の問題もとりあえず解決してしまいましたし。
今になって思えば、この時に周囲が大人が管理できていないのではないかと気付くべきだったのでしょう。しかし私も含め、誰も救いの手を伸ばすことは出来ませんでした。
変化③ 身なりの良い子供たち
皆さんはネグレクトに遭っている子供たちの身なりについて、どう思いますか?
私も詳しいわけではないので一般的にどうなのか分かりませんが、少なくとも子供たちは非常に良い服を着ていました。
これは先に書いた通り子供たちが必要な物を買うお金に困る事はありませんでした。恐らく現金の他にカードもある程度は自由に使えるようになったいたのでしょう。
欲しい物は通販で購入していたようで、服もおもちゃも豊富に持っていました。
彼らが親から見放されて暮らしているとは全く思えませんでした。寧ろこんなコーポ(家賃月5万数千円くらい)に住んでる割には羽振りがいいなと思っていたほどです。
変化④ ゴミ屋敷~終焉
結局このゴミの問題に終始するのですが、家の中に入れられたごみは結局収まりきらずにベランダにまで進出します。
当時人気だったZOZOTOWNの箱が文字通り山ほど置かれていたのを私も見ています。再び外にゴミが出てくることで悪臭問題が再燃します。
家の中の様子は我々住民には見えていませんでしたが、管理会社が家を訪問したところゴミ屋敷になっていたそうです。
結局その事を理由に部屋は立ち退きに。
子供たちは必要な物を持ってどこかに出ていきました。周囲の住民への挨拶は無かったので、本当にいつの間にか子供たちはいなくなっていました。
残りのごみは管理会社が特殊清掃の会社を手配して片付けました。
その作業の日にたまたま家にいたのですが、4tトラック2杯、軽トラック3台分にも及んだそうです。
更に家の中からは犬まで出てきました。ペット不可の物件ですが、子供たちがこっそり飼っていたようです。隣の部屋から「うわ、犬が出てきた!」という叫びが聞こえたので、どうやら子供たちは出ていくのに際して犬は連れ出さなかったようです。連れ出せなかったのでしょう。
生きていくのにお金は必要です。世の中にはお金や食べ物を与えずに悲しい結末に到ってしまうケースもあるので、通販をしまくれるほどお金を自由にさせていた今回の事例はそれよりはましなのかもしれません。
しかしお金だけではやっぱり駄目で、大人がきちんと責任を果たす事、必要な事を教える事。それを放棄しない事…、それが大切なのです。
そして同時に私にとっても教訓でもあります。隣に住んでいて、状況の変化に気付けなかったのか。
後になって様々な変化を客観的に書き連ねてみると、気付けるタイミングは幾つかあったはずです。そういう小さな事象を見落とさないように、気を付けていきたいなと思っています。