TOPコラム>備中松山城を踏破する15

天守閣

最後に

最後に、城を振り返る

 『松山の渓を埋むるあさ霧にわが立つ城の四方しろくなる』(与謝野鉄幹)
 『瀬戸の海伯耆に霧の分れ去りあらはになりぬ傷ましき城』(与謝野晶子)

 かつてこの地には与謝野夫婦が訪れ、当時はまだ修復されていなかった備中松山城や、その風景を詠んでいったそうです。
 与謝野晶子の和歌にある【傷ましき城】というのは、修復前の天守閣を指している表現です。

 今では美しく、傷ましいどころか非常に優美なお城に戻っていますが、展示物からはその修復の大変さなども知りました。
 帰り道の途中、動力付のキャリアーで土嚢を運ぶ人とすれ違いましたが、今でも大変なこの作業を、当時は人の力のみで材料を運び、小規模とは言えど天守閣を創り上げた事はまさに賞賛すべき事ではないでしょうか。
 実際に歩いてみたからこそ、その凄さが伝わってきたような気がします。

 こうして写真を見ていると、天守閣の規模だけで言えば小さな城ですが、実際に上がってみたら…きっと侮れない城だと思う事でしょう。

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写真撮影:岡山の街角から



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写真撮影:岡山の街角から


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